横浜のアパートに帰宅した紫は心地良い疲れを味わいながら、携帯を握りしめていた。付き合ってと言われたわけではない、という事実に気付いてからは少し冷静になった。仙台からの帰りに気付いたのだ。すっかり浮かれていたが、まだ彼氏ができたわけではない、ということに。丸一日、何度かラインをしてはいるが、恋愛というところまで行ってはいないのだ。
あまりしつこくしてはいけない。彼は仕事をしているはずなんだ。紫は洗濯やらの家事をしながら、なるべく求人情報を見るよう心がけた。こっちも大切だ。
安物で囲まれた我が家に帰り、家事をしていたら夢から覚めたような気もした。しかし夢ではない証しに、携帯を手放せなかった。
ラインを気にしながらも求人をチェックしていると、二、三良さそうなのを見つけた。
早速面接に向けて履歴書の用意と予約の連絡をした。働いていないのに、一日があっという間に過ぎた。次の日には、咲元から横浜で会いたいというお誘いが来た。
紫はウキウキと承知し、その合間にくる企業からの面接を決める日時のやり取りをし、スーツを用意しては、心乱れていた。三つの会社に面接を申し込んだが、一社の面接が咲元から誘われた日と同じで、迷った末辞退してしまった。
掃除洗濯を済ませ、心を新たに爽やかな気分だった。もしかしたら、咲元がこの部屋に……。ついそう思ってしまう。ブラック企業で働いていた時は、家事なんて面倒なだけだったのに、楽しく自室を整えられた。我ながら浮かれてるなあとも思うが、今はそれでいい。楽しみたい、そう思った。
そろそろ出かけようという時、母から着信があった。兄に二人目が生まれたという。そう言えばもうすぐだった。
「また女の子よ、安産だったわ。昨日からバタバタでねえ。可愛い姪っ子が生まれたんだから、帰ってこれない?」
母は興奮していたが、紫は冷静だった。現在職探し中だとも、旅行帰りだとも言っていないし、兄の子供はあまり興味がない。
「お正月はいつも通り帰るから……。今はちょっと忙しいの。おめでとうって、伝えておいて」
いつも夏休みは二日しかないので、毎年年末年始しか帰っていない。
「そうかい、仕方ないねえ。ところで、お前の方は……」
「ああごめん、行かなきゃいけないから、またね」
紫はさっさと電話を切った。どうせいい人いないのか、ということだ。お土産を送ったと言うのを忘れた。明日辺り届くだろう。まあお祝いになってちょうど良かった。今は実家のことなんて考えられない。