【前回の記事を読む】母が犯罪に手を染めた理由は、親父にもある。何度もSOSを出してきたのに、無視され続け、ノイローゼになり……

劉生 ―春―

俺たちは婆さんより早く呼ばれた。

刑務官に案内されているとき、初めて親父が落ち着かない様子を見せた。首から下は先を行く刑務官に素直に従っているのに、首から上はまるで道を見失ったかのようにあたりをきょろきょろ見回している。勝手が違う、といった顔だ。俺は急に不安になった。

悪い想像が浮かぶ。たとえばお袋は急病で、敷地内の医務室のベッドで身動きできなくなっているのではないか。だからいつもの面会室で会うことができず、親父は不審に思って戸惑っているのではないか。

すぐに、ばかばかしい、と考え直した。そうならば、面会申し込みのときにそうと知らされているだろう。

親父が手続きを取りに行った建物の脇をまわると、保育園を囲っていたのと同じ緑色の板塀があった。刑務官が塀の木戸を鍵を使って開ける。

いきなり、別世界がひらけた。

三方を建物に囲まれた、そう広くもない中庭の中央に桜の木が一本立っている。一昨日の雪に耐えて花は八分咲きだ。

その下に四阿(あずまや)がある。地面は枯れ色にほわっと緑が兆した芝だ。よく手入れされている。日当たりがいいのか残雪はほとんど見当たらない。

四阿の中は日陰になってよく見えないが、淡い空色の作業着――これが囚人服なのだろうか――を着た女がぽつんと座っていた。

近寄って行っても、規則なのか女は立ち上がったりせず、背筋を伸ばしたまま身じろぎもしない。ただ俺たちの方をじっと見据えている。

こんなに小さな女だったか――。

しなびて黒ずんで、売れ残りのカマスの干物みたいじゃないか。まだ五十にはなっていないはずなのに、やけに白髪が目立つ。六十歳でも通るだろう。キャディの婆さんといい勝負だ。

記憶にある母親とはべつの人間に会いに行くのだ、という気構えなど、まったく不要だった。これじゃ本当に別人だ。

それにしてもなんでこんなに痩せこけているんだ? 刑務所の食事というのはそんなにひどいものなのか? 色白で下膨れ、ぽっちゃりとした体型だったはずだ。

俺は家族のアルバムを開くことなどまったくないが、記憶の中のお袋の姿はそれほどぼやけちゃいない。これでは優子でなくても誰だかわからないだろう。

「連れてきたよ」

親父が声をかけると、女は無理につくった笑顔で、ありがとう、と言った。聞いたことのない声だった。

「びっくりしたな、こんなところで」

四阿の小さな天井を見上げ、親父は嬉しそうに言った。傍らの刑務官がなにか言いたそうな表情を浮かべ、しかしなにも言わない。