「志を持って社会に出た」――そんな言葉は、入社から数年で過去形になる。いまや夢を語るよりも、〝いずれ偉くなるまでの辛抱〟を胸に、誰もが静かに日常をやり過ごしている。それがこの会社の〝大人の知恵〟というものなのだろう。
関東エナジー開発は、数字上は優良企業だが、その実情はある種の無法地帯と呼んでもいいほどだった。
静かに過ごしていてもトラブルは起きてしまう。SNSでの誹謗(ひぼう)中傷、オンラインカジノ、盗撮、社内不倫、横領、経費の乱用……。最近の若者は対面が苦手でスマートフォンでしか意思を表せない。上司クラスは逆にアナログで酒関連のトラブルが多く、飲酒運転、宴席で取引先をぶん殴る、泥酔して大事な書類を紛失するなど、下の者に示しのつかない問題ばかりだった。
当然、そんな上司に毎日怒鳴られていれば部下もおかしくなっていく。その都度、汗水垂らして走り回っていたのが加納であり、顧問の柊だった。
青い正義をぶつける柊に優良企業の処世術と数字の読み方を教える加納は、いつしか互いにはないものを持っていることを自覚し、良いバディとなっていった。
ある日、営業部員の経費私的流用を隠密裏に処理した加納と柊は、誘い合うわけでもなく、なんとはなしに居酒屋で酌み交わすこととなった。柊は酒の勢いもあり、それまでずっと聞けずにいた加納に対する疑問を口にした。
「加納さんはどうして、そんなにムキになって社内の揉(も)め事を解決しようとしてるんですか? ほかの役員と同じように、適当にやって高い給料だけもらうこともできるのに」加納は冷めたような視線を柊にくれると、グラスに3分の1ほど残っていた酒をひと口に飲み干し柊に告げた。
「上が絶対で、従うしかない若い奴らはみんな無関心になって何も言わない。上司のご機嫌取りだけで問題を起こさないことに一生懸命になっている。これでいいのか? くだらない権力争いで意見を言った社員を平気で飛ばすような会社はダメだよな」
柊は初めて社内の状況について口に出して語る加納に何も言い返す言葉がなかった。
「俺も銀行時代は出世ばかり考えて泥水を飲んできた。きっとこの会社が最後になるだろう。だから最後くらいは理想のビジネスマン、理想の会社にしたいと思っているのかもしれないな。この会社で数字にいちばん強いのは俺だ。だからこそ気がついたこと、解決しなければいけないことがたくさんある。もう我慢とか後悔とかはしたくないんだ」
次回更新は4月30日(木)、8時の予定です。
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