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「今朝、主人が亡くなりました」
数日前の夕方、浅草の三社祭の最終日に、柊のスマートフォンに届いた恵子からのショートメールだった。たったひと言、短い文面だったが、それは柊の胸の奥に深く突き刺さった。
たまらず折り返した電話の向こうで、恵子は震える声を押し殺して告げた。
「……死因は虚血性心不全。亡くなったのは日が昇り始めた午前5時だそうです」
淡々とした口調の奥に、悲しみとやりきれなさ、そして納得できない心情が感じられた。
柊は何か慰めの言葉を探してみたが、結局、ありふれた悔やみの言葉を述べ、連絡をくれた礼を言って通話を切ることしかできなかった。刑事時代、凄惨な現場で感情を殺すすべを骨の髄まで叩(たた)き込まれた柊にとって、涙はとうに捨てたはずのものだった。だが、背中を預け合ってきた唯一の戦友・加納の死は、その冷徹な防壁を呆気(あっけ)なく打ち砕いた。
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焼香の順番が回ってきた柊は遺影の前に立ち、深く一礼した。抹香をつまんで香炉に落とすと静かに煙が立ち上る。手を合わせて目を閉じた瞬間、加納の言葉が脳裏によみがえった。
「あの時、ひと言でも言えていたら……。今でも思うよ。だから今度は、無駄でもやる。ただ、見過ごしたくないんだ」
副社長の加納は、会社の顧問である柊との飲みの席でよくそう話していた。加納は社内のさまざまなトラブルを柊の警察官時代のノウハウを活かし、大事になる前に未然に解決していた。そんな柊に、役員たちはあるときはすり寄り、あるときは露骨に避けていた。
密葬だから参列者が少ないのは当然だ。だが、それだけではない。加納の死が、意図的に無視されているように柊には感じられた。弔辞もない。会社を代表する人物の姿もない。関東エナジー開発の経営陣は、なぜ誰一人ここにいないのか。それはまるで加納という人間が最初から存在しなかったかのような、突き放した状態に思える。
次回更新は4月27日(月)、8時の予定です。
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