【前回の記事を読む】「いつの頃からか、家族の前であの女のことを、お袋、と呼ぶようになった」再会の動機は、純粋な好奇心だった…

劉生 ―春―

本当に、子供の頃からすぐ泣く奴だった。嬉しくても悲しくても、気まり悪くても泣いた。こんなんであとふた月もしないうちに母親になるんだから信じられない。

ま、産むだけなら資格がなくても産めるからな、と思うと、これから会いにいく女のことが急に心の中で生々しく存在を増していくような気がして、思わず「うるさいんだよ、ピーピー泣くな!」と妹を叱りつけた。

タクシーは呆れるほどすぐにやってきた。まるで俺たちの動向を遠くで監視していて、それ出動、とやってきたような早さだった。近くにタクシー会社の車庫でもあるんだろう。

車に乗り込んでものの数分で、それらしき塀が畑地越しに見えてきた。大人の背丈ほどの金網が伸び、その内側に数メートルの緩衝地帯を設けて、金属板を打ち付けたようなそう高くもない塀が続いている。塀の向こうに幾棟かの低層の建物が見える。田舎とはいえ、ずいぶんと贅沢な敷地の使い方だ。

ふいに、十年ほど前、小菅駅のホームから東京拘置所のビルを仰ぎ見たときのことが蘇った。

その近未来の要塞のような建物は、圧倒的なスケールで十五の俺を打ちのめした。悪いことをした奴らがなんでこんなすげぇビルに住めるんだ? 第一印象はそれだった。

俺が十三の歳まで家族四人で住んでいたのは、首都高の高架下、築四十年経つ四階建て賃貸マンションの2Kだった。

目の前の誇らしげにそびえ立つ建物は、てっぺんにUFOのような白い円盤がのっていて、周囲を巡ると中央の塔から放射状に幾棟かのビルが伸びているのがわかった。

今思い返せばパノプティコンの近未来型、という印象だが、歩きながら全容がわかってくると、その複雑な威容に怯えに近い感情を抱いた。おそらく、人間を徹底して効率的に管理することを第一目的に設計された姿が、そう感じさせたのだろう。

その建物のどこにも、もうお袋はいないことはわかっていたが、いやわかっていたからこそ、安心して俺は出かけて行ったのだった。もちろん、家族には内緒だった。

拘置所の敷地の周囲をうろついているとき、無性になにか食いたくなって、歩いていればコンビニでもあるだろうと期待していたのだが、行けども行けどもコンビニにも食い物屋にも行き当たらなくてまいった。

小菅の駅に戻って売店であんパンを買い、三口で平らげたのを覚えている。中学を卒業して高校へ入学する春休みのことだった。中高一貫校だったから、中学卒業後の春休みでもクラブ活動があり、さんざん身体を動かした後でめちゃくちゃ腹が減っていたのだ。

タクシーの後部座席に俺と並んで座っている優子が、今まで泣いていたことも忘れたように金属板の塀にじっと見入っている。俺は自分の脈が強く搏(う)っているのを感じた。それが癪に触って「意外と塀が低いな、高圧電流でも流れてたりして」と声に出した。