第一章 注射にしますか、お薬にしますか?
「もっと暗くして」が終わりの始め
全く嫌(いや)んなちゃうな、大きな声じゃ言えないが。
三月の初旬、寒グレシーズンも終わる頃に日振島へ一人で釣行した。
友達にも声を掛けたが、都合が合わなかったのだ。
年金組のオイラは、前日の昼過ぎ、早々と出かける。途中で夕食を取り、缶ビールとつまみを買い込んで、いそいそと渡船屋の仮眠所に入った。
仮眠所には電子レンジ、電気ポット、テレビ、こたつ、布団があり、釣り師にとって極楽だ。
一二月や一月のベストシーズンなら、次々と釣り客が来るが、オフに近いその夜は誰も来なかった。
ビールを飲み、テレビを観て、目覚まし時間を携帯にセットして寝床に就く、そこまでは全て予定通り順調だった。
翌朝目覚めた時は、出船時間を一時間も過ぎていた。
なんと!寝過ごしたのだ。
慌てたが、後の祭り、日振島へは渡船で一時間も掛かるから、目覚めた時はもう、渡船が日振島へ到着する時刻だった。
携帯を代えたばかりで、うまく目覚ましがセットできていなかったらしい。
弁解の余地はなく、自業自得である。
撒き餌を用意し、わざわざ釣り客の少ない日を選び、高速道路を四時間も走って来たのに、全て無になってしまった。
渡船場には一〇台ほど近県の車が並んでいる。どうやら他の釣り客は朝来たらしい。
当日は薄曇りで無風、釣りに最適な日並みだったというのに残念、無念。
「あーあ、まいった、まいった」
ぐっすり眠って晴れ晴れとしているはずが、機嫌はよくない。
「ソレでどうした」だと?
帰って来たよ、スゴスゴと。
車を運転して帰宅した頃、誘っても来られなかった「白さん」から電話が入った。
「朕茂チャン、風のない薄曇りで、最高だろう?」
「大当たりー、爆釣だヨ」なんて言いながら、隠したって、どうせ直ぐ分かることだから、白状した。
「実はナ……釣りしてない」
「なんだ! 行かなかったの」
「行ったヨ、でも釣りはしてない」
「何だ、また磯靴(いそぐつ)忘れて、そうだ竿も忘れたんだろう」
「忘れ物はなんにもなーい……チョット寝過ごした、只ソレだけ」チクショー。
そんな訳で、翌日には、オイラが渡船に乗り遅れた噂は、釣友全部に広まってしまった。
「さすがは朕茂チャン、渡船に乗り遅れても、動ぜず堂々としてた」なんて言ってくれる者は一人もいなかった。
「朕茂は、釣りより仮眠所で一人で飲むのが好きらしい」なんて言われ、あーグヤジー。