その後、時間差で出た方がいいと思い、ライブハウスの向かいのコンビニで立ち読みをするフリをしながら、ライブハウスへと続く地下階段を凝視していた。同時に1台のトラックが入り口脇に止まる。

この先の人生で、もうこんなに地下階段を凝視することはないだろうなと思い、多分、死んだ時にこの光景は思い出すだろうし、なんなら何十年か経ってDJを辞めざるをえない時が来ても、同じような地下階段へと続くライブハウスの前を横切った時でさえ思い出すだろうなと。

この感覚は、学生の頃から今に至るまで崇拝しきっているPENPALSという日本のバンドを、初めて小さいライブハウスに見に行った記憶に近い。当時高校生だった私も同じようにメンバーが地下階段を上がってくるのを出待ちしていたなと。

そんなことを考えて何分経っただろうか、深夜のコンビニの商品搬入のトラックが荷卸を終え、運転手が店員にハンコを貰っていた姿が視界に入ってきたと同時に、地下階段を上がってくる彼女が見えてきた。白のTシャツにオーバーオール姿で髪の毛をお団子にしていた彼女は、ライブハウスで見るよりも低身長で褐色で童顔だった。

「サエ」という私の5コ上のこの女性は、彼女も先輩に適当な嘘をついて抜け出してきたようだった。

それから二人が付き合うまでにさほど時間は経たず、翌月の私の誕生日にはお祝いもして貰っていた。付き合うという行為自体、別に初めて出来た彼女でもないし、付き合っては別れての繰り返しをしていた私にとって、半ばルーティンのような習慣だった。

でもこの子は違っていた、私の身体の調子を常に気に掛けてくれて、次の日が仕事の時はDJ活動も控えて欲しいと。いつもならこんな忠告は願い下げだったし、むしろ面倒くさかった。でも彼女を手放したくない一心で耳を傾けていた。完全に握られた。

でも握られてるのが心地よかった。

右手の違和感を感じたまま、むしろ悪化していった状況の中でも、私は言えなかった。言ってしまったら「ほら言わんこっちゃない、あれだけ忠告してたのに」

彼女の悲しむ顔が目に浮かぶ。「大丈夫、右手だけだから」と自分に言い聞かせて、彼女と過ごす3回目の夏が過ぎた。

まだ右手の状態はバレてない。いつも左で手を繋ぐし、なんなら歩道を歩く際も、左腕を組んで歩く。右手はポケットにしまいながら歩けばいい。いちいち自分のどこかで、バレてはならないというプレッシャーに似た状況に追われていた。

次回更新は2月17日(火)、14時の予定です。

 

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