ありがたいな。

何にもできないけど、忘れちゃいないよ、……それだけで、いいのだと思うのです。

ボクが毎年出す、バカ年賀状も、そんな、読んでもらって……「ああ、イワちゃん、相変わらずやなぁ、ははは」と笑ってもらえたなら、あながち無駄ばかりじゃない気がする。

もっと言えば、それを目指してるともいえるのだ。

1月12日 神社を…めぐる

――「神社」

みなさんに思い浮かぶ、神社って、いったい何だろう?

まずは、自分ちの在所にある神社、氏神さん、お宮さん、でしょうね。それから、やはり伊勢神宮さん、それに対をなすような出雲大社かな。

大豊さんは、「いにしえの時代から、何かに頼らなくては生きていけない不安があったし、また、その時代、その時代の力の主の死(墓所)に、手を合わせたでしょうね。それが、何百年も続くうちに、そこには何らかの目に見えない、〝何か〟が育っていったんじゃないでしょうか。

それを〝神〟と呼んだんじゃないでしょうかね。ま、言い方変えると、人の想いの継続みたいなもんの先が、神って言われるもんじゃないでしょうかね。私は、そんなふうに思っています」と、言ってござった。

むろん、そんな「何かわからない大きな存在」には、崇める、頼る、助けてもらうばかりじゃなく、恐れる、ってのもいっぱいあったと思うのです。祟り(その多くは疫病)を恐れ、手を合わせた。人が死んでゆくことの終息の、その先を祈った、それもあるでしょうね。

 

今でも、田舎にいくと、在所、在所の入り口には、お地蔵さんや、祠が立っておられます。災難が入ってくるのを止めようとした、そんな気持ちもあったでしょうね。