【前回の記事を読む】守ってきたもの、続けてきたこと、その大事さを感じなくなったとき、人は何を支えに、これからの未来を生きるんだろうね

1月

1月9日 年賀状の…大切さ

「カタチばかりのもんで、そんなん、もはや不要なもんだ」と、みんなが年賀状のやり取りをやめていく。

でも、ありがたいなぁ……と、思える年賀状もいくつかあったよ。

一つは、近くのお寺さんからのもんだ。ここの住職さんだった藤嶽さんは、長くうちの事務所にござった。いろんなことを教えてもらったし、まあ何とも愉快な人だった。

あるとき、藤嶽さんとこに用事に行ったら、本堂で読経してござって、アタシャ、すき間から……その姿を拝もうとしたんだね。そしたら、藤嶽さん、新聞を読みながら、口だけはお経さんとなえてござった。奥さんに笑って、そのこと話したら「ワタシも、よくあんなことができるもんだ、と、あきれてます」って笑ってござった。

そんな藤嶽さんも、もう、逝ってしもうてから10年になるそうだ。

 

病の床を見舞ったとき、「イワオ君、ワシももう、あかんわ。向こう(あの世)へ行って、親父さん(もっと前に逝っちまった うちの親父とも懇志だった)に伝えることがあったら、伝えるでな」と、笑ってござった。

そんなお寺さんからの年賀状。

「人生一生、酒……1升、あるかと思えば、もう空か」

いい言葉だ。藤嶽さんもお酒が好きだった。息子さんを早くに亡くされ、カラオケで唄う歌は河島英五さんの『野風増(のふうぞ)』だった。藤嶽さんの叫びの唄だったよ。

たった1枚の年賀状で、藤嶽さんを思い出す。ありがたいばかりだ。

他にも、病気で臥せってござる人からも、「もう年賀状をやめます」っていう人からも、オイラだけには返事が来る。子供を亡くし、必死で生きてる子からも……送ってくれたよ。