翔一にしてみればこの街で、全く知らない女性に、話しかけられることなんか、今まで数え切れないほどあったことだ。
でも、今夜はなんか少し違う。話しかけてくるその女性を、いつもとは違う意識で受け入れようとしている自分に、気がついていた。
彼女に顔を向けてよーく見れば確かに、見覚えがあった。
『ダーティ・デライトに、俺が居たことを知っているのなら俺が、あそこに居た時間に、そこに居たお客さんの1人だろうな、当然ながら』
彼が思い出そうとして、もう一度彼女に視線を向けたとき。
「あーそうかぁー君は、リクエストしにDJブースまで来たよねぇ、あのリクエスト俺が、かけてあげたでしょう、ちゃんと聴いてくれてたぁ?」
はっきりと思い出した翔一は、なぜか大きな声を出していたが、本人は、それに気づいていない。
今夜、いまいち堅かった彼の表情には柔らかさが戻ってきていた。
また彼女は、目の前に居るDJが真剣に思い出そうとして、自分を思い出してくれたことに、喜んでいた様子だったけれど、こんな話を始めた。
「私、いろんなお店でリクエストお願いに行くけど、ほとんどのDJはリクエストにこたえてくれないの。でも今夜のあなたはすぐにかけてくれたよね。リクエストの最後まで、しっかりかけてくれたから私も、ちゃんと最後まで聴いてたの。そのときにね。もし、偶然どこかで逢えたら絶対に話しかけようって思っていたの」
彼の歩いていく方向へ、一緒になって歩き出しているその女性は、嬉しそうに話している。
彼は、違和感なく隣を歩く彼女の話を、DJとして聞いていた。
いつもならとんでもなく速い、彼の歩き方も、となりを歩く彼女に合わせているかのように普通だ。
「ねぇ君、名前はなんていうの? 良かったら教えてくれないかな。僕は、水嶋翔一です。よろしくね」
名前も知らない間柄、というシチュエーションも嫌いじゃあないけれど、本題に入る前に、自己紹介を先に済ませてしまった。
「私は佐藤香子、きょうという字は、かおりって書くの、よろしくね」
彼女は、右手を差し出した。
翔一は、差し出されたその右手に、自分の右手を重ねた。