【前回の記事を読む】ルート取りをミスっている若者たち。「ほっておけ。せいぜい冬剱の厳しさを思い知ればいい」と彼は言うが…

第二章 小窓尾根

川田は自分のザックから取り出したロープを解き、ロープの一端を自分のハーネスに結び、他方を鬼島に手渡した。鬼島も同じように自分のロープを解き、一端を自分のハーネスに結び、他端を川田に手渡した。鬼島と川田の間は、いつもどおり、二本のロープで結ばれた。

そして川田は、鬼島の腰から伸びているロープを手に取ると、自分のハーネスについている確保器にセットした。ロープは氷風に曝されて硬化し、確保器に捻じ込むのも難儀した。

「ビレイ、OKです」と鬼島に告げた。

「頼むな」と言って、鬼島は登り始めた。

出だしはいきなり露出した岩盤が立ちはだかっていた。鬼島はアイゼンの前爪を上手く岩の裂け目に合わせながら、氷混じりの岩角を手がかりにし、時折大股に両足を広げ、体勢を安定させながら巧みに攀(よ)じっていった。

露岩部を過ぎると、そこから上はほとんど氷化した雪壁となった。鬼島は両手に持ったピッケルとバイルをところどころその氷壁に叩き込みながら、一定のペースでゆっくりとピラミッド状岩壁の頂稜を目指してずり上がっていった。川田は鬼島の動きに合わせてゆっくりとロープを送り出した。

鬼島が登り終えたら、次は川田の番だった。びょうびょうと吹きすさむ風雪の音と、時折ロープが確保器をすり抜ける音が、妙に川田の耳に響いた。

一瞬、烈風が氷壁をさらった。川田は咄嗟に膝と腰を折って身を伏せ、耐風姿勢を取った。その刹那、後方で突如雪面を掻きむしる音と悲鳴がした。

振り返ると、岩稜の端から下方に雪煙が上がり、黄色とオレンジの蛍光色が雪煙とともに池ノ谷めがけて滑り落ちていった。蛍光色はたちまち雪煙に巻かれて消え、男二人の野太い悲鳴がとどろくだけとなった。しかしやがてそれも消えた。

川田は腕で風を除けながらその一部始終を見つめた。そして凍った岩を掴み踏ん張りながら顔を上げ叫んだ。

「鬼島さん! やつら落ちましたよ!」

風雪が緩んだ束の間、目を開けることができて、氷壁にへばりついている鬼島が見えた。

「鬼島さん!」

また叫び、叫ぶたびに風雪で鬼島の姿が霞んだ。目にも雪片が突き刺さるので、顔を岩に当てて伏せた。

「……見たよ……」

強風でかき消されながら、何やら鬼島の声が届いた。

「……ダウ……」

「聞こえない! 何ですか!」と川田は大声を張るが何も聞こえず、そのうちに手元の、鬼島を確保していたロープが緩み始めた。ロープが緩むということは、鬼島が下降を始めたということだった。

川田は慌ててそのロープを手繰った。ロープはどんどん緩んでいくので、それに合わせて手繰っていくと、そのうちにアイゼンが氷壁を突き刺す音が頭上で響き、顔を上げると鬼島がすぐ上まで下りてきていた。