【前回記事を読む】「助けて、助けて」中年の女性が叫んでいた。道端にうずくまり、心臓のあたりを手で押さえながら絞り出すような声で…

1 発端

―外国人技能実習制度―

「あなたはこの方の知り合いですか?」

「いえ、たまたま通りがかっただけです」

「わかりました。それでは結構です。あとはこちらで対処します」そう言うと、救急隊員はリンダと名乗った中年女性を担架に乗せて、救急車へと運んでいった。

救急車が去った後、吉岡は思った。

「リンダという人は、在留カードを持っているのだろうか。もし持っていなかったらどうなるのだろうか。まさか病院から入管へ連れていかれるのだろうか」いろいろと思いめぐらしながら吉岡は家路についた。

家に帰ってから吉岡はしばらく考え込んでいた。そして決心した。

「やはり自分は日本にいる外国人の役に立つような仕事をしたい。B監理団体に就職しよう」

その日の夜、吉岡は親にそのことを伝えた。

父親は「勝手にしろ。その代わり、家からは出ていけ」と叫んだ。そして母親に「お前が甘やかすから、こんな奴になったんだ」と怒鳴り散らした。

母親は何も言わなかった。仕方ないなという感じだった。

年が明けてから、吉岡は家を出て1人で生活を始めることとした。最初は就職してからにしようと思ったが、父親の不愉快な顔と母親の悲しげな表情をこれ以上見たくないと思ったためである。

独居生活を始めて就職するまでの間、吉岡はアルバイトをしながら出入国在留管理庁や外国人技能実習機構やJITCO(国際人材協力機構〈現在〉)のホームページに掲載されている資料等を読んで、外国人技能実習制度についてひたすら勉強していた。

勉強してみると、いろいろなことがわかってきた。現在の制度の前身である「外国人研修制度」が整備されたのは1989年で、その時の目的は、途上国の人材育成が主たるものであったという。現在の技能実習制度も目的は同じだが、その時代は人材育成への熱はより強かったようである。

話によると、1991年に研修制度を司るために設立された JITCO(国際研修協力機構〈当時〉)の発足式の時、初代会長だった盛田昭夫氏(当時ソニー株式会社会長)が、国際協力の重要性を強く訴えたという。

当時、日本経済はバブル崩壊前の絶頂期にあり、まさに「Japan As Number One(JANO)」の時代だった。世界第2位という経済的な地位としての責任感から、国際協力を進めなければならないという強い使命感が感じられた。

「それがなぜ、これほどまでに批判されるようになってしまったのだろうか」吉岡は最初不思議に思った。しかしその疑問はすぐに解けた。

研修生は「研修」すなわち「技能を取得すること」が目的だったために、労働法による保護が適用されなかった。そのため、「時給300円の労働者」という言葉に代表されるように、外国人を安価な賃金でこき使うという慣習が横行したことで、国内外で批判が続出した。