「ぼくの思うに、肥溜の穴の周りに石を敷き詰めて、大きな器のようにすればいいと思う。石の隙間から水分は抜けて行くが、養分は器の中に大部分残る。土壌の汚染もいくらか防げる」
「なるほどな。しかしそれを造るとなると重労働だ」
「みんなでやればいいさ。肥溜は泉さんの言う通り畑の端っこで、キャンプからできるだけ離れたところに造ろう。ええと、確か岩崎君が建築学科だったよね。設計はきみにまかせてもいいかな」
並み居る大学生の中から「いいよ」と声がした。
長身で骨太、薄い顔つきの岩崎宏(いわさきひろし)は、林と同じ大学で、日頃口数が少ないために周囲からどんな人物であるか、あまり知られていなかった。だが沼田は岩崎のことを高く買っていた。以前、サークルの打ち上げで岩崎と隣同士になった時、彼が専攻する建築以外にも歴史や政治、金融、サブカルチャーなど、あらゆるジャンルに通じているのを知ったからである。
ちなみに岩崎は林と仲が良い。二人ともまったりとした性格で、馬が合うのだろう。
「じゃあ次に、肥料の原料に関わるトイレの問題だけど。これはどうする?」林はそう言ってみなを見渡した。
早坂が答えた。
「考え方は肥溜と一緒でよくないか? 穴を掘って石を敷き詰めてトイレにする。二、三日に一度、溜まった分を肥溜に移す」
「汚物を運ぶのには、観光案内所に桶があったからあれを使えばいいかな。あ、すくい出すのに柄杓が必要だね」
「男女別に二つくらいずつ欲しいわ。あと目隠しと」と泉。
「分かった」岩崎が立ち上がった。「全部まとめて設計するよ。一人じゃ作れないから、人を割り振ってくれ」
翌日から土木工事がはじまった。
岩崎は一晩で、図面を書き上げていた。観光案内所にあったコピー用紙に、肥溜とトイレの深さ・直径、縁のカタチなどを記している。設置箇所はおおよその見当を付けてあり、朝方確認に行くと果たして打ってつけの場所だった。
川田が中学生を指揮し、敷き詰め用の石を集めた。穴掘りは大学生の作業で、数少ないスコップを交代で使い、土を掘り出していく。設計の深さは約一メートル。掘る係と側面を固める係が黙々と作業をする。集められた石が、中にかっちり嵌まるように敷かれていく。
そこから三〇歩ほど離れた畔の脇、丘を下った茂みに、盛江と岩崎がいた。盛江は大きなスコップでトイレ用の穴を掘っている。
「こんなの掘らなくても、観光案内所の簡易トイレだって、便槽の中身を肥溜に捨てたら、また使えるんじゃないの?」盛江は力仕事をしながらぼやいた。
「もちろんだ。使える物は何でも使う」岩崎は敷き詰める石を選り分けている。
「だったらなんでこんな重労働を」
「ああいうトイレはメンテナンスが必要なんだ。俺はバイトで建設現場に入ったことがあるから分かる。専用の薬液が無いと、かえって不衛生になる。いずれ寿命が来るだろう。その時になって『次のトイレ!』と騒ぎ立てるくらいなら、先に造っておいた方が良い。穴式トイレは水はけと通気に優れているから、きっと寿命は長い」
「きっと?」
「ああ、きっとだ」
「頼りねえな」
「しゃべってないで、どんどん掘れ」
男子が肥溜とトイレを作っている間、女子は泉の指揮で、畑の収穫と、近々に食べる分の加工を行っていた。
「次の栽培のために種は捨てずにいてね。調理時に出る茎や葉っぱは細かく刻んで肥溜に入れる。無駄な物は一切無いわ」
「はい!」泉の指図に中学生たちの返事が響く。
木崎が言った。
「保存する期間や場所のことを考えたら、あらかじめ何日分かの献立を作って収穫・加工していくべきだと思います」
「茜ちゃん、その通りだわ。じゃあ、献立委員会を作りましょう」
大学生女子の数人が、飲食店のバイト経験があり、大人数の調理に心得があった。後で聞くと男子にも経験者がいたので、男女混成で委員会を組織することになった。
収穫については、とりあえず保存の利く物を早々と収穫し、次の栽培のために畑を空けることにした。
男女とも汗みずくになって働いた。男子は木や石を扱い、女子は草葉や穂先に触れた。全員分の軍手が無く、手を切る者が続出した。現状、怪我は最も怖い。近くに病院は無く、連絡を取る手段も無い。観光案内所にちゃちな救急箱があるだけである。切り傷を負ったら膿まないように、すぐに水で洗って消毒をする。かぶれる可能性のある草木や毒虫にも注意が必要だ。
その他、骨折、火傷、裂傷、打撲……キャンプ場の周辺には危険が溢れている。かといって作業を止めるわけにはいかない。彼らが取り組んでいるのは生きるために最低限必要なものづくり。それすらままならなければ、この先、到底生きてはいけないのだ。
そんな絶望的な状況ながら、若者たちは仲間と作業をすることに喜びを感じていた。特に中学生らは、世間から蔑まれたりドロップアウトしたり、いい目に遭ったことのない子どもたちばかり。むしろ協労に新鮮さを覚えていた。特に川田と木崎が率先して働いているのは、今の仕事を「自分の居場所」として感じていたからである。
こうして、生きていくために最低限必要な環境が、徐々にではあるが整えられていった。