外国の港に着くと、一人一人、大勢の人前に立たされ、「五〇ドル、五〇ドル、若い子だよ、五〇ドルでどうだ」
と、まるで品物のように売られていく諦めきった様子の娘たちを目にし、万蔵はどうにかしてお金を稼いで、こういう生活のために売られていく貧しく若い娘たちを救いたいと思った。
この「からゆきさん」と呼ばれる日本の若い娘たちは、女衒(ぜげん)と呼ばれる斡旋業者に、ホテルなどで働くと儲かるからと騙されて各国の港々の娼館に売り飛ばされた。
多額の借金を背負わされ日本に帰る道も閉ざされて、寄港した香港、ベトナム、マレーシア、インドネシア、シンガポールなどの港で売られていった。遠くは、シベリアやアフリカのモーリシャス、タンザニアのザンジバルの奴隷市場まで売り飛ばされた人たちもいた。
その多くは慣れない暑い気候の国で、マラリアなどの風土病や性病などに罹かり、悲嘆の挙句(あげく)に自殺する子もいて、平均寿命は二十歳ぐらいだったという。
字もよく書けないそんな娘たちからのわずかな仕送りが滞りがちになると、ああどうしたのだろう、何か病気にでもなったのだろうかと親たちは案じた。その仕送りが途絶えてしまったら、もう亡くなったのかもしれないと諦めるしかなかった。
まだ若かった「からゆきさん」たちは現地語の習得が速く、中には太平洋戦争中まで生き延び、年老いた「からゆきさん」として日本軍の通訳をした人もいたという。
当時の戦費を賄うために、貧しい農家や漁村の人々は重税に喘いでいた。「からゆきさん」たちは、そんな家庭の犠牲となり、体で稼いだお金を日本の家族へ細々と仕送りをして、日本経済の一端を担った辛く悲しい人たちだった。
万蔵はハワイまでの一航海を終えるとまた日本に戻る予定だった。しかし彼は別な船に乗り換え、ハワイからシアトル、そしてカナダまでやってきた。まだ見たこともないアメリカ大陸にようやくたどり着いた。万蔵は、船の過酷な労働に辟易(へきえき)しており、また船に乗ってあの大海の荒波に乗り出す勇気が萎えてしまっていた。
万蔵は最後の給金をもらうと、誰にも内緒でこっそりと船から降り、一度行ったことのあるレストランに頼み込んで住み込みで皿洗いを始めた。
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出産とともに妻は亡くなり、生まれた娘も6日後には亡くなった。益々商売にのめり込む彼を、アジア人排斥、大戦、火災が襲い…
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