「今日はチャイコフスキーの『くるみ割り人形』だ」と神矢が言った。私の好きな『花のワルツ』が流れていた。

私は音楽が好きで何でも聴くが、クラシック音楽は特別に考えていた。バッハにせよ、モーツァルトにせよ、ショパンにせよ、クラシック音楽は魂を浄化してくれるような、いわば天上界の調べだ。

難解だと言う人がいるが、決してそんな事はなく、聴き込むほどに、その魅力の深みにはまってしまう。私は彼がクラシック音楽も解する事を知って、きっといい人なんだと安心した。

「君はコスタリカもココも知らないで、この店の何が気に入ってるの?」

「音楽と、それから、そのステンドグラスの窓よ。日の光が差すと凄く綺麗で、まるで教会みたいだわ」

「君はクリスチャンかい?」

「いいえ。女子高も女子大も仏教系だったわ。だから、たぶん仏教徒。でも、教会には憧れるわ」

「ウェディングベルを鳴らしたいのかい?」

彼にそう言われて、私は急に沈んだ。

「私……結婚する気はないの……誰とも……」

「……そう。不思議だな。僕も同じだ……」

私達はしばらく黙ってしまった。私はバッグから本を出し、『こころ』を読もうとした。

「何を読んでるの?」

「漱石の『こころ』よ」

「『こころ』か……それで面白いかい?」

「まぁ面白いわ。先生が自殺するんですもの」

「自殺ね……」

「人間しか自殺はしないわ。犬や猫は自殺しないもの。自殺って、人間を知るヒントになると思うわ」

「自殺は人間の最悪の悲劇だよ。理解するどころか、益々わからなくなる。僕は面白くないね。動物や鳥のように、ただ生きる。それこそ素晴らしいと思うな」