第1章 ヒューマンエラーはなぜ起こる

1、人間の情報処理モデル

ここで1つの例を取り上げてみましょう。

仮に、あなたの妻が自宅で、あなたが帰宅するのを待ちわびながら、夕飯の用意をしているところだと仮定します。今は、本日のメイン料理に合わせた野菜スープを仕上げる段階です。妻が少しスープを掬って、味見をしました。それが、図表1で示すところのインプットです。

[図表1]人間の情報処理モデル

使う感覚は、言わずと知れた「味覚」です。

妻は①の味覚で味を確かめます。

次に、②の感知した味の情報を電気信号に変えて、脳(大脳の味覚野)へ伝えます。

③の記憶の番です。記憶には、これまで同じ料理を幾度も作ってきた過去の経験が詰まっています。そこでスープ調理に関わるいくつもの記憶を呼び戻して、今日のスープの味と比較します。

ここで、“少し塩味が足りない”と感じました。

次に④の思考の出番です。このまま煮詰めると、野菜からもう少し旨みと水分が出ると考えました。仕上がりの段階で少し塩分が足りない状態になると判断したのです。

⑤の判定の結果は、“少し塩を足す”という結論に達しました。

最後に⑥の動作で、塩を一振りお鍋に加えたのでした。

以上のように、いくつかの工程を経由しながら情報を処理することで、人は次に何を行うべきかを判断し、行動につなげます。

仮に、これら調理に関する工程の中で、エラーが発生するとしたら、原因としてどのような可能性が秘められているでしょうか。少し考えてみましょう。

(ア)①の五感の工程;今日の妻は、いつもと違って少し体調が悪かったようです。そのため、舌にある味細胞の感覚がいつもより少し鈍感になっていました。その結果、感覚として塩味を少し感じにくく、いつもと同じ味なのに、若干塩味が少ないと感じてしまいました。

(イ)②の前処理の工程;スープの味見の時、少し慌てていたのでしょうか。食事中は、香辛料の良い香りを感じながらスープを味わうので、薄めの味付けの方が野菜の旨みを実感できます。しかし、この時はなぜか、脳への情報が単に塩味としてだけの味わいのない情報しか伝わりませんでした。

(ウ)④の思考の工程;野菜は煮ると、中から水分が出ます。鍋の中の野菜の状態から、水分と野菜の甘みが少しでてくると判断しました。しかし実際は、既に鍋の中の野菜からは水分が出きっていて、これ以上水分や甘みが出ない状態でした。このため、調理を終える頃の鍋は、この時よりも煮つまってしまいました。

(エ)⑤の判定の工程;振り入れる塩の量としては、“二振り”入れる必要があると判断しました。しかし、実際にはその半分の塩で十分に塩味は足りていたようです。

(オ)⑥の動作の工程;今日はご主人の誕生日です。妻が塩を一振り振ったところ、これからの一家団欒の楽しい一時を想像しながら手を忙しく動かしていたため、なぜか一振りで予想していた量の2倍ほど塩が入ってしまいました。

(カ)⑥の動作の工程(スリップ);夕飯の用意も最後の仕上げの段階です。時計を見るとあと10分でご主人が帰宅します。居間では、子供達がお腹を空かせ待ちわびています。食事までにやらなければならないことをあれこれと考えながら調理をしているうちに、塩を振り入れるのを忘れてしまいました。

(ア)から(カ)に示した何れの結果も、スープを美味しく作るという目的に対しては、明らかにエラーです。しかも、そのエラーの結果は、作業をする本人の望む状態ではありません。

これらの例から、人間の思考の中には、多くのエラーを起こさせる“齟齬の種”が存在することがお判りいただけたと思います。

図表2に各処理工程別の起こりうるエラー原因を記載しました。

[図表2] 情報の各処理工程において起こりうるエラー原因