「人を信頼しすぎてしまうのは、お前が寂しい人間だという証拠だろ」

そう言って私を批判し、出会う人間を斜めからしか見られずに自分を守ることに必死な人の方が、私からしたらよっぽど寂しい人生を送るのではないかという気がしてならない。

出会う人々と常に正面からぶつかることは非常に労力の要ることだが、そうすることでしか私は本物を見極められない。たとえそれが馬鹿だと言われても、何もしないで本物を見失うよりはよっぽどマシだ。痛い目に遭っても、回避できない問題というのは皆無に近い。

最初から疑ってかかるということが、私にはどうも納得が行かない。相手はたかが人間じゃないか。警戒して、瞬時に相手を判断して、何かしらの危険を感じたらその人とは付き合わない。

では一体、皆どこまで直観力を持っているというのだろうか。日々、直観力を磨いて正しい判断をしているとは到底思えない。

ある時、私は初対面の人に対してこう言った。

「貴方に出会えて良かった」

「橋岡さん、ダメだよ。そんなこと言ったら。ここは外国じゃないんだから、相手の人はビックリしちゃうよ」

なんで? 挨拶と一緒じゃないか。

「今日はありがとう」

それと一体何の違いがあるのか、私にはよくわからない。

次回更新は6月21日(土)、20時の予定です。

 

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