乾いた唇を舐(な)めながら、そう応えて、なるべく体力を消耗しないように、木田はベンチの隅でじっと俯(うつむ)いていた。

質の悪いスピーカーから流された英語のアナウンスは、音が籠ってよく聴き取れなかったが、「さあ、出るようですよ。行きましょう」と言う吉田に促されて、木田は重い旅行用スーツケースを引きずりながら、彼の後に従った。

七千以上の島からなるといわれるこの国で七番目に大きな島へ渡るにしては、桟橋に横付けされた船は、想像していたより随分小さい。

川を渡る渡船のような幅の狭い船に、船の姿勢を安定させるためのサイドフロートが取り付けられていた。こんな小さな船で外洋を越えなければならないのだ。

桟橋から船に乗り込む際の歩み板はヒト一人通るのがやっとの狭さだ。ここを重いスーツケースを引きずりながらどうやって渡ろうかと一瞬逡巡 (しゅんじゅん)していると、後ろから来た屈強な男が、ひょいとそれを肩に担ぎ上げて船内に運び込んでくれた。

助かったとは思ったが、勿論親切で運んでくれたわけではない。チップにと木田が五〇ペソ手渡すと、これでは少な過ぎるとして、結局一〇〇ペソ支払わされることになった。

それでも、自分で無理して担いでバランスを崩し、海に転落することを考えれば安いものだ。

そういえば、赴任地を知らされた際に集めた情報の中には、以前プエルトガレラ周辺の海域でフェリーの転覆事故があり、日本人を含めた多くの犠牲者が出た、との報道があったのを思い出した。

船内は地元の人々に交じって、西洋人の姿が意外なほど多く見受けられる。木田は財布を入れたショルダーバッグを胸元に抱えながら、狭い船内でまるで彫像のようにじっと身じろぎもせず、大勢の船客の中に身を固くしていた。

船は一時間ほどで対岸のプエルトガレラに到着した。プエルトガレラの桟橋付近は、木田が予想していた以上に明るく清潔感があり、桟橋に面した海岸沿いには、土産物屋と小さな食堂が並んでいた。


[1]フィリピンのルソン島南端の都市で、ミンドロ島へ渡る船の出港地。首都マニラからの直行バスで所要二〜三時間。

[2]ミンドロ島北端の港湾都市で、ミンドロ島の玄関口にあたる。

 

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