個別面談でした。あるがままの気持ちと状況を伝えたら、
「貴方の場合は、貸し付けは受けられますよ!!!!」と言われました。
預貯金もゼロなんですよ! まだ手術して治療終わって1年しか経っていませんけど……。
「貴方は既にその活動もお仕事もしっかりとされているでしょう? たとえまだ治療していたとしても、わたしたちは過去何千人も面接してきているので、その人を見れば、何もかもお見通しなのですよ、嘘はつけないのですよ!!
障害のある貴方が自分のサロンをオープンして、他府県から困った人たちが福岡までご来店される事になれば、福岡県に貢献していると認められるのです!!
自信持って面接受けたら良いです!! 大丈夫!」
と背を押されました。
でも引っ越しして2年3ヶ月程は、低料金サロンでパートのオバチャン美容師として勤務の傍ら、子育てに励む事になった。僅かな預貯金を生活費に回しながら、極貧ながらも、お客さんから日用品などを安く買えるお店を教えてもらって、お仕事終わって立ち寄るのが日課となり、その時間がとても幸せで楽園だと喜んだ。
最後はパートのオバチャンやのに1店舗任されてしまった。社員のひとおるのに……。それを命じてくれたのは……この前2液貸してくれたMさんやった(2液は、サロンで利用するカラー剤のこと。1液と2液をまぜて使う)!!
「杉本さんは以前と変わらず17時半で帰宅しても大丈夫ですよ!! 残業しなくてもいいです!! 社員のひとがややこしい事していたら注意してください!! 杉本さんのやりたいようにサロン展開してもらっても構いませんよ」
との好条件を頂き、楽しめた最後の3ヶ月だった。
パートのオバチャン美容師やけど責任者、10畳程の小さなサロンでしたが、多い時間帯には近隣に暮らすお婆ちゃん達の憩いの場? 店内には自分と社員さんとお客さま8人。店内に入らないお婆ちゃん達は、お外のベンチで喋ってお待ちかねしてはる。
店内キュウキュウで、窒息したらあかんで!!(笑)、窓開けとこうね!って、楽しかったな。