布石
とにかくすることがない。車の中ではテレビがついている。ニュースで、交通渋滞20キロなんて伝えている。チラッと時計を見る。まだ午前10時。お腹も空かないし食欲もない。手元にあるコーヒーを飲み、また時計を見る。10時10分。
テレビの内容も頭に入らず、ニュースキャスターの声がBGM代わりに車の中に響いている。精神的に落ち込んでいるから、音楽とか映画とかスポーツなど、楽しい発想なんて出ることもない。トシカツは一人呟く「私は貝になりたい」と。この4日間、50数年生きてきて一番無駄な時間であった。
「人間50年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」
やっと、長く孤独な蝉の幼虫のような4日間が過ぎ、いよいよ待望の仕事の日が来た。トシカツにとってこんなに仕事が待ち遠しいと思ったことは、半世紀も生きてきてなかったことだろう。人に会える、人と会話ができる。そう思うだけでおかしくなって泣き笑い。
会社の戸を元気よく開け、「おはようございまぁす!」いつもより声が張る。
仕事を終えてまた一人、トシカツはスーパーの半額弁当と4~5本のビールを買って車に帰る。車の中のテレビを観ながらビールを呑み「帰りたいなぁ」なんて思っていた。
歴史に「たら、れば」はないけれど、この時にちゃんとあやまっていたら、帰っていれば、これから進む地獄道には行かず、知らぬが仏、臭い物に蓋をする人生で、済んだのかもしれない。
案外、普通に生きるって、見ざる、聞かざる、言わざるが普通なのかな? トシカツは運命が変わっていった。この先、見たくない物も見せられ、知りたくないことも知らされ、行きたくもない所にも行かされることになる。
何にせよ神様というのは意地悪である。試練ばかり与えたがる。トシカツは、どんどん裏目ばかり引いていく。まるでキリストが十字架を背負って歩むように。
仕事&車中泊を繰り返し何とか15日までつないだ。とはいえ、時間だけはみんな平等に過ぎていくのだけれど、楽しい時間は瞬く間に過ぎるけど、苦しい時間は眠れない夜のように暗く長い。この時の過ぎ方が、恐ろしく違うことをトシカツは知る。
15日の朝、パチンコ店の開店前に並ぶ客みたいに、不動産屋が開く前にお店の駐車場で待って、開店と同時に店に入りカギをもらう。電気、ガス、水道などセッティングしてもらい業者の人が「ありがとうございます」と帰っていった。
バタンと戸が閉まる。「シーン」となる。トシカツは部屋を見渡す。当たり前のことだけど何もない。