第1部 捕獲具開発
3章 仕掛けとその効果
4 餌付け機能を備えた1匹取りの仕掛け
B 捕獲例2 クマネズミの場合
実施例1 古民家のケース
観察記録
先住者「警告しただろうが! それが分かっているのにどうして入って来たんだ」
侵入者「興奮するな。争うつもりなんかない。頭を冷やして少し冷静になれ。俺たちは捕まったんだぞ」
侵入者は相手の求めに素直に何度も応じることで、なんとか先住者の興奮状態を収めようとした。そして、先住者がネズミらしさを取り戻すのをただひたすら願ったのだ。
侵入者はその場の状況をよく理解しているから、相手に合わせて興奮する気にはならない。まるで、その場を丸く収めるために相手を説得していたようにも感じる。
結果として2匹は二度と争うことも無く和解できているので、示威行動などではなく、仲直りのための儀式、または手打ち式と言えなくもない。
儀式化した行為という点では、ニホンザルの社会にあるマウンティングと呼ばれる示威行動が思い浮かぶ。
優位な個体が劣位の個体の背後から近づき上に乗っかるだけの行為だから短時間で終わってしまうが、日常的に行われていて、相互に序列を確認しあうだけの目的で行われている。上下関係を絶えず確認しあうことで集団内のもめ事を未然に防ぐ効果があるのだ。
序列を重視する縦社会で、集団内にいる限り下の者は上の者に逆らえない。そして、個体間の序列を決めるためには、同じ時に生まれた子同士でさえ争わなければならない。
今回観察した行為は服従のポーズという点でニホンザルのマウンティングとよく似ているが、その目的が同じだとは思えなかった。先住者の行為が1回で終わっていないからだ。
前もって序列が決まって いて、双方がそれを確認するための行為であれば、ニホンザルのように1回で十分である。それに、前もって序列が決まっているなら、わざわざ人前ですぐにその行為を行う必要がない。
後でゆっくりと確認すればよいことなので、まずは身を隠すことを優先するのがネズミだと私は思っていたのだが、読者はどう思うだろうか。興奮状態が収まるまで何度もその行為を行おうとしていたことの不思議さがいつまでも引っかかっていて、何故だろうと思い始めると中々頭から離れなかった。
長く飼育され続けてきたハツカネズミについての研究は50~ 60年前ごろから盛んになり、その生態については詳しく知られている。ドブネズミもラットと呼ばれて実験動物として長く飼育されてきた。
研究者たちが絶えず目にする生き物だから、その行動についても同様に詳しく調べられ続けてきたはずである。しかし、今回のような観察がされたという報告はない。
相手の後ろに回り背中に手を置いて耳元でキーと鳴く。この儀式のような行動は2個体間に共通した認識がなければ成立しないはずだ。ネズミの寿命を考えると、生まれてわずか数カ月の子ネズミたちがこの行為の持つ意味を共有している。実に驚くべきことだ。
そして、この行為は集団の数が多い時に、子同士のもめごと処理を、いつまでも争うことなく収めるために有効な方法でもある。つまり必然的に、クマネズミが集団行動をしていることと、社会行動と呼べるような行動を行っていることを認めざるを得なくなると思うのだが、その両方共、学者研究者と呼ばれる人たちが何度も確認した後でなければ、公に認められることはない。
研究者たちが簡単に確認できればこの観察結果も生きてくるのだが、実験動物として主に飼育されているのはラットと呼ばれるドブネズミの方であってクマネズミではない。
クマネズミは飼育しにくいと聞いたことがあるので、研究者たちの手元にクマネズミはいない。もし仮に捕獲しにくく飼育しにくいクマネズミだけが持っている特異な社会行動を、たまたま私だけが 初めて観察したのだとすると、公に認めてもらうのはとても困難なことだ。
そして、儀式化された動作の1つひとつまで遺伝子によって決められているとは思えない。今回私が観察したクマネズミの行動が、遺伝的に生まれつき持っているものではなく、集団内の子たちが幼い時に学ぶことで親から子に伝わって来た社会行動だとすると、仮にクマネズミを飼育することができたとしても確認することはできないだろう。
個体間の序列さえ守っていれば集団が維持されるニホンザルとは違っていて、序列が無くてもルール順守を徹底させているクマネズミの方が、より高度で安全な仕組みを持っているとさえ思ってしまう。
上下関係を絶えず気にしながら、より上の地位を狙っていつも争う事ばかり考えているニホンザルとは大違いだ。どんな状況であっても、争わずにもめ事を解決する方法を持っているクマネズミの方が優れているとさえ言える。
言葉を持たない生き物が、人の社会で言うところの、話し合いだけで争いを解決するようなものだ。集団行動を行っている生物でこのような行為をする生き物はいるのだろうか。是非知りたいところである。