手術が終わると両手とも包帯ぐるぐる巻きの状態で、ボクサーみたいな感じだな〜と思っていました。皮膚が着床するまで1~2週間ほどぐるぐる巻きの状態だったので、臭いが気になってきたり痒くなったりしていました。
ぐるぐる巻きの間は食事も自分で食べることができなかったので、包帯が取れるまでの間はまた看護師さんに食べさせてもらうことになりました。
包帯が取れて初めて見た私の手は、もうとてもじゃないですが、これが人間の手なのかと思うほど人間の手とは思えないぐらいになっていて、両手とも赤みが強くて全部の指の第1関節から先がなくなっていました。
手を開いたままの状態で固めると危ないとのことで、左手をグーの状態にしていたら、全く開くことができなくなってしまいました。右手はグーの状態ではないですが、変形して歪な形をしています。
指も固まってしまいましたが、右手の親指がほんの少しだけ動かせました。しかし、開閉に制限があったので、ここから苦痛のリハビリが始まります。
火傷でこんなふうになってしまうんだと思うと、改めて火傷は恐ろしいなと気付きました。火傷の深さにもレベルがあります。私はⅢ度熱傷で、火傷の中でも一番酷く、皮膚全層や皮下組織、筋肉や神経、血管までも焼けてしまっている状態でした。
処置するだけでこんなにも辛いなら死んでしまった方がラクなんじゃないかと思い、実際に「こんなにも辛いならもう死にたい」と口にした事もありました。しかし、両手もダメになってしまって身動きもできない状態。自殺することすらできないことに気付き、もういっそのこと誰かに殺してほしいと思ったこともありました……。
その時に、主治医の先生に言われた言葉に救われた気がします。
「この先5年、10年と時間はかかるけどちゃんと良くなるよ」と言われた時は、5年、10年経つまでどんだけ長いんだよと思っていましたが、その言葉を信じて、気付くと今、事故から7年が経過していました。
火傷の度合い(%)と年齢を足して100を超えると助かる可能性が低いそうです。私は全身の60%火傷しており、事故当時28歳だったので、「88%でギリギリだったね」と言われました。
60%の全身火傷と肺挫傷と診断されていましたが、肺挫傷は、安静や酸素吸入の治療法が用いられていますが火傷治療を優先されていたので、自然治癒したそうです。車から出火さえしなければ火傷を負うことなく、軽傷で済んだかもしれません。
警察官の方が事情聴取に来た時はひたすら泣き、事情聴取どころか同乗者の方がただただ心配でした。今どこにいるかも分からない状況だったので、大丈夫なのかと聞くなど、全然事情聴取ができる状況ではなかったのですが、警察官の方は親切に話を聞いてくれたり気遣ってくれたりもしました。
【前回の記事を読む】自分の顔なのに凄く怖かった......夫は気を使って、窓ガラスの反射や鏡で今の姿が映らないようにしてくれた。
次回更新は9月28日(土)、21時の予定です。