第3章 私が知っている私のこと
夫として、父として家族の知らない出来事
本当は子どもたちが、身をもって教えてくれていた職員として大切なことを真っ向から受け止めることができず、逃げ出したかっただけなのかもしれません。いや、きっとそうでした。私は、後先を何も考えないで、感情的にというか感傷的に退職してしまいました。私は自分の置かれた状況に耐えられず、すべてを放り出して逃げ出しました。
その後再就職する意欲も起きず、職業安定所(ハローワーク)にも最初の手続きに出向いただけでした。私はこの時すでに結婚していて3人目の子が生まれる頃でした。長男が5歳、次男が3歳、誕生間近の娘がお腹の中にいた妻は不安でたまらなかったと思います。迷惑をかけたという言葉では、決して償うことなどできないことをしていました。
私は気持ちを切り替えて、何とかしなければならないと思っても焦るばかりでした。妻には嫌な思いをさせたばかりなのに不安がる妻を何とか言いくるめて、自営業に手を出しました。
事業計画も資金計画も曖昧で、やっていけるはずがありません。それまでの蓄えをほとんど使い果たした結果は、あっという間の自然消滅でした。再就職することを先延ばしにすることだけが目的だった起業など成功するはずがありません。ようやく目が覚めました。
それから私は就職先を真剣に探し始めました。30代も半ばになっていたので、再就職先を探すことは大変でした。
職業安定所も間隔が空いてしまうと行き辛くなり、新聞の求人欄で大学受験教材の訪問販売、新聞の拡張員など次々と職を選び生活費を稼いでいました。私にとって外回り仕事は、今まで知らなかった世の中の一端を知ることができました。同僚と仕事中に競艇、競輪に立ち寄り、そこで日中を暮らす人たちの姿を身近に感じていました。