妻は昭和30年8月、新潟県の佐渡島で生まれました。現在の佐渡市鷲崎です。今はのんびりひっそりとした漁村ですが、当時はもっと賑やかだったようです。漁業で生活する人たちで賑わい、活気がありました。
お盆の頃になると島外に出た人たちがお土産をいっぱい抱えて、フェリーで帰ってきます。船はまるで満員電車です。迎え火を焚いてご先祖様を迎えご馳走が並びます。
小学校の校庭だったか漁業組合前の広場だったかで、地域のみんなが総出での盆踊りが開かれ笑い声が絶えません。久しぶりに集まった親戚、縁者で酒を酌み交わし、友人、幼馴染とは夜が更けるまで語り明かします。
賑やかな夏の日もあっという間に過ぎていき、送り火を焚きご先祖様を海に見送る集落の長老たちの鐘音(かねのね)が、空高く響き渡っていきます。そして一人、また一人と日常生活に帰って、元通りの静かな漁村に戻っていきます。
妻からお正月よりも、お盆のほうが賑やかだと聞いたことがあります。冬の日本海の荒波では、帰省することは難しかったかもしれません。
港には、漁船が重なり合うように停泊していたようです。今では漁師で生計を立てる人は少なくなりました。船外機を外された漁船が寂しそうに係留されています。
立派な堤防や岸壁がまだなかった頃は、自宅からちょっと歩くだけで浜に出ることができたと、妻が懐かしそうに話してくれたことを思い出します。友達とみんなでサヨリやフグの稚魚などを釣り、シタダメ貝や海苔を採ったりして遊んだ話も聞きました。
私も後に、このシタダメ貝をよく食べました。新鮮な磯の香りがして美味しかったことを覚えています。巻貝なので、茹でて爪楊枝か何かでほじくりだして食べます。小さな貝なので手間はかかりますが、それがまた何とも言えずいいのです。生海苔も汁物に入れると香りが立ち、これも海辺でしか味わえない贅沢です。
こうして書き綴っていると、幼かった頃の妻の故郷の様子は微かに知っていますが、妻自身のことはほとんど知らないことに気づきました。どんな生活をしていたのだろうと今頃になって知りたくなりました。
甘酒が好きだった女の子くらいしか知りません。家にあった甘酒の、ほんのり甘ったるい味を思い出すと言っていたことがあります。その話も、こちらに移住してきてから聞いたように思います。それがきっかけで、冬になると我が家では甘酒作りが始まりました。