第三章 異変

この人二重人格なんです

「会社に行かないで!」

結婚してから一年以上経過し、妊娠五か月だった私は、この状況を脱しなければと、夫に詰め寄った。

「会社に行かなきゃいけないんだ」

なぜか会社に行くことに執着する夫の目を盗んで、夫が持っていた家の鍵を取り上げた。

「会社に行くなら、出て行って! この家に帰ってこないで」

と言うしかなかった。夫は、この家を出ていくことはないという確信のもと、私の言うことを聞いてほしいと思っての行動だった。ただし、これまでの経緯から、夫に危害を加えられる可能性があると思った私は、鍵を取り上げた後、食卓テーブルを挟んで、夫との距離をとり、お腹の子を守って臨んだ。

「鍵を返せよ。会社に行けない。遅刻する」

「きょうは会社を休んでほしい」

「休むわけにはいかない」

「会社に行って残業したらおかしくなってる。会社に行くなら、この家に帰ってこないで」

何周かテーブルを回る光景は、ちょっと笑いが出そうになるくらい不思議なものだっただろう。いくら私が妊婦でも、夫は義足。私が勝つことくらいわかっていた。攻防の末、夫は根負けした。

「わかった。会社を休むよ」

私の指示通り、夫は、その場で会社の上司に休む連絡をした。この日、会社を休んででも夫に行ってほしい場所があった。

結婚前から、夫が覚えていない事故当時の出来事をいろんな人に取材をして、ブログにしていた。そのときの事故では、脳挫傷があり、二週間も意識不明だったことがわかっている。呂律が回らない原因が、アルコールではない、と知ったとき、脳梗塞を患った人が呂律が回らなくなる症状があることを思い出したのだ。

もしかしたら、夫は脳に何かしら問題があって、こんなことが起こっているのではないだろうかと疑い始めたのだった。「会社に行かないで」の言葉のあとに続いた言葉は、

「会社に行くなら脳神経外科で診断書をもらってきて。会社にその診断書を持って行かないなら絶対に会社に行かせない」

問題を解決できない状況を続ければ同じことが起こる。問題を解決しなければこの生活は続けられない。この生活を守るためには、絶対に引かない。いや、引いてはいけないと思っていた。このときの私は、人生がかかっていたからこそすごい剣幕だった。診断書を書いてもらうため、夫は、近くの脳神経外科を受診した。夫は一人で行くの一点張りだった。ここはメモを渡して任せることにした。

「夜になると別人のように暴言、暴力で、まるで二重人格のようです」

私の心の叫びをメモにして、夫に託した。

「これを先生に見せてね」

こうして脳神経外科に送り出した私は、リビングにへたり込んだ。