第2章 講演会で新構想を発表する

資本主義経済構造の歴史をひもとく

現在の経済構造のままだと人類は危機的状況に陥ってしまう。そこで私は、世界の経済構造の主流を占める資本主義経済構造の歴史を大まかにひもといてみようと考えた。

おそらくは、貨幣のない時代の物々交換から交易が始まったのだろう。たとえば海で取れた魚と陸で取れた穀物の交換から、貝殻が貨幣の役目を果たし、貝殻から金貨銀貨銅貨に代わって、現在の紙幣通貨の流通となった。これが通貨の歴史である。

経済構造の歴史は農耕用の鋤(すき)に始まり、家内工業的手工業の作業場所から、1760年代にイギリスのマンチェスターで綿工業が機械設備による大工場で成立したことによって産業革命が興った。

同じくイギリスのリヴァプールでは鉄鋼産業革命が始まった。産業の米と言われる鉄鋼は、土木、建築、自動車、鉄道、電気機械などに欠かせない鋼材を生産している。

産業革命は株式投資に支えられ、資本主義経済構造の自由生産で切磋琢磨してきたのだ。産業革命より260年後の現在まで、さまざまな発明で世界が飛躍的に発展してきたのはご存じの通りだろう。

経済学的には、アダム・スミスが『国富論』(国民の富に関する論文)で「神の見えざる手による富の分配」や自由放任主義のシステムである夜警国家(経済を自由な生産、自由な消費、自由な流通にまかせ、政治を夜の警備に例えた)という理論を唱えた。夜警国家の構造だったイギリスの産業革命時期、アダム・スミスは古典派経済学の始祖であった。

1800年代、ドイツ人カール・マルクスが古典派経済学を批判、科学的社会主義を唱えて『資本論』を発表した。

資本主義経済構造では、搾取される労働者側と搾取する資本家側の両端に分けられる。これが現在の経済構造の格差の原点である。

現在の世界では、60名のトップの富裕層の資産と、世界の恵まれない36億人の資産が同じである。このことが現代社会の格差を拡大し続け、経済構造が行き詰まった大きな要因になっている。

現実は、富裕層がチャンスと努力で成し遂げただけの成果ではない。かといって富裕層が悪いということでもなく、仕方がないことなのだ。