我が家の場合、年齢はまだ30代の夫婦の家族。介護はあまりに早かった。私の予想では老夫婦になればお世話にはいつかはなるという固定概念があった。高い棚の上からものを取れなかったり、手を繋がないと歩けない歩行状態など老々介護を現場で目の当たりにしていたから、我が家はあまりに早くて、まだ丸裸になるのが恥ずかしかった。

夫の疾患経過を見ながら育児をし、時間が経過していくにつれて、障害認定、年金、介護支援計画、住宅改修も行った。そのうえ福祉課、児童課、年金課、市民税課、税務署など病院以外のさまざまなところで夫の今置かれている状況を話した。

申請するために足を運び、進めねばならない書類を作成いただくようにいくらでも足を運び、説明をした。

「旦那さん、良くなった? 良くなるの?」と、たくさん尋ねられた。歯を食いしばり話すこともあった。子どもらも答えのない生活に明け暮れてタイムスケジュールなんてものはない。

秒で変わったあの日から、私たち家族は真剣に生き抜いていても何が起こるかわかりもしない人生をともにして、毎日不安で押しつぶされた。今も、もちろん何が答えかわからぬまま見よう見まねで家族をしているのかもしれない。

アバウトな立ち位置で、長男優先にしたり、日々誰かと歩調を合わせながら家族という言葉も実際にはひとまとめだ。子どもたちが自立して生きていく歩みの途中に、今私たちはいる。

子どもたちがいつか、誰かと、歩む時まではアバウトなまま答えのない役割かもしれない。教科書でいうお母さんの役割やお父さんの役割、子どもの役割すらも成り立たない時期があったことで機能不全な家族でもありながら一生懸命家族をして、「長男だから」、「次男だから」、「奥さんだから」、「お母さんだから」、はない家族だ。

 

【前回の記事を読む】幸運かもしれないし、不幸かもしれない。家族でも捉え方は人それぞれだ

※本記事は、2021年12月刊行の書籍『プレナイト』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。