紗津季は苦労してようやく看護師になれたものの、その後の就職も決して順風満帆とはいかなかった。そもそも、病院に勤務する際にも、当初は大きな病院に入ろうとしたが、父親不明の母子家庭であることから採用されることはなかった。看護師に家庭環境など関係はないと思われるのであるが、なぜか一旦決まりかけても、大きな病院では最終的には採用が見送られてしまうのである。
病院の側としても、入院患者が大勢いて、その身の回りの物もあり、そこに金銭等の貴重品もあることから、ときにその紛失が問題となることもある。そこで、身元の確かな看護師を採用したいという目論見があったのかもしれないが、そのようなことは明示されることもなかった。
そのような事情も知らない紗津季は、病院の対応を理不尽に感じながらも、仕方なく近くの診療所に勤めることになった。そこには古参の看護師がおり、彼女への扱いは決してよいものではなかった。
もう六十歳近い年齢の女性の看護師はまだ「看護婦」と呼ばれていた時代からこの仕事に就いていたのであり、現在のような看護師としてのスキルも地位も認められておらず、医療を担う専門家、医師の補助者的役割というよりも、医療事務職員程度の扱いでしかなかった。そして実際、個人医師の診療所では、掃除、洗濯から会計等の医療事務まで全てを行わなければならなかった。
たまたま、大きな病院で看護師が必要とされている事情があり、紗津季の勤務していた診療所の医師がそことの関係が深かったため、紗津季を紹介し、そして、現在の病院、権栄会橘病院の勤務となった。
そこは紗津季が、以前に一度就職を断られた病院であったが、今回は、関係のある医師の紹介であり、これまでの勤務経験も評価されての採用であった。そこは二百床ものベッドを有する総合病院であり、紗津季もようやく自らの能力を発揮できるものと期待していた。
ところが、医師と看護師がチームの一員として共同して医療を支えていく、近代的な病院を思い描いていたのであるが、そのような看護師のスキルが生きるという理想とは大きくかけ離れて、内容は旧態依然としていた。
相変わらず医師が万能で全権を有しており、看護師はあくまでも雑用の下働き的な地位にしか見られていなかった。紗津季は思い描いていた看護師像と異なるのに少し落胆していた。