疲れた身体を癒そうと、帰りがけに買ってきたバナナ入りのオムレツケーキをバッグから取り出し、ぱくっと頬張った。
母奈津子と姉美智留の好物オムレツケーキ。
母が好きなバナナを姉が好きになり、わたしも大好きになった。
「そんなバナナ~」
母の口癖。姉の口癖でもある。
姉によると、小さい頃に何かにつまずいて転んだり、幼稚園で気の強い男の子にからかわれて泣いたりしたときに、母は決まって変顔をして「そんなバナナ~」と言って笑わせてくれたという。そのダジャレに込められた意味は我が子を思う母親ならではの愛情ある躾だった。
「どんな嫌なことや辛いことがあっても、そんなバナナ~と思うだけで忘れられるよ」と。
そんな母の言動を姉も真似をした。妹のわたしがわんわん泣いているときは必ず「そんなバナナ~」と変顔をしたものだ。両方の耳を軽く横に引っ張ってアッカンベーをしたり、ブタ鼻を作ってブーブーと言ったり……そんな楽しい記憶を、わたしはふと思い出すことがある。そして、バナナを食べただけで自然と元気がでてくるから不思議だ。
と、ラララインの通知音が鳴った。スマホを見ると、貴輝からだった。
【どうしてこなかったんだい?】
こなかったのではなく、いけなかったのだ。時間の問題で。わたしは、身体が疲れているせいで思考が回らない中、時間を空けずに返信をした。
【ごめんなさい。いろいろあって】
【いろいろ?】
【そう。いろいろ】
しばらく間があった。
【わかった】
女々しい男みたいに、細かく聞いてこないところはいい。
ずいぶん前になるが、貴輝の自宅と勤務先をまゆ実の身辺調査をする過程で容易に突き止めていた。しかし、繋がったのは最近のことである。いろいろ考えた末に。「携帯が壊れてデータが消えたの」と言って初めて近づき、連絡先をゲットした。
電話番号が変わったことについては「人間関係を清算したくなったの。いろいろあって」、声質がまゆ実と違うことについては「声帯を痛めているの。いろいろあって」と言っただけで、貴輝は何も聞いてこなかった。
フツー、恋人同士なら心配して理由を尋ねるんじゃない? まゆ実に興味がないのかな?
そう思ったが、貴輝の知人にさりげなくリサーチしてみたところ、そういう性格なのだとわかった。
言いたくないことは言わなくていい。
言いたくなったらとことん聞いてやる。というのがポリシーらしい。
なんとも男前である。男もいろいろだ。
いろいろか……わたしは食べかけのケーキを包み袋の上に置くと、何もない空間を見つめた。
「人生もいろいろだ」
ポツリと呟く。
【また連絡する】
そう入力し、わたしはラララインを閉じた。