ふと振り返ると新田家と山口家全員が見送りに来ていた。驚いて電話を切り、駆け寄るとお母さんが「なに泣いてんの! みっともない!」と怒っていた。それを無視して他の人らに挨拶し、改札をくぐった。

始発駅なので電車はもう来ていて止まっていた。私は改札から電車に乗るまで一度も振り返らなかった。普通、電車に乗る前に最後に振り返って手を振るなどするだろうが、私はあえてしなかった。

なぜなら、その電車に乗るということは、新田のお母さんとの喧嘩ばかりの長崎の苦しく辛かった日々との決別だったからだ。

私は振り返らず、歩みを緩めることもなく、迷いなく電車に乗った。後から桃子姉ちゃんが言っていた。「振り返りもせず電車に乗るあんたが印象的だったよ」と。

今思い返すと、これらのお母さんの私への接し方は、精神的な一種の虐待のようなものではないかと思う。おそらくこういったものがアダルトチルドレンを作っていくのだ。

そして大阪ではママが笑顔で待ってくれていた。前もって希望を聞いてくれていて、真っ白な家具で揃えた綺麗な自分の部屋があった。

マンション暮らしが初めてだった私は綺麗なマンションにとても喜んでいた。家中に、小さい頃からママと一緒にどこかに出かけた時のママと私の写真が飾ってあった。

その頃ママは再婚しており、パパ(再婚相手)もいた。ママは証券会社で営業の仕事をしていて、パパは知り合いの会社でトンネルの仕事をしていた。

血は繋がってないけど、再婚相手の健二パパもとても優しくしてくれた。大阪では喧嘩もなく、天国のような毎日だった。

ある日、リビングで3人でしゃべっていた時、ママの足の指を見て私は驚いた。普通の人は足の人差し指が一番長いが、私は親指が一番長い。ママの足の指も親指が一番長かったのだ。

「わぁ! ママも足の親指が一番長いんだね! 私と同じだ!」

なんだかママはパパと妙に顔を見合わせながら「そうね」と答えてくれた。

学校も始まり、仲良しの友達もでき、勉強も遊びも適度に充実していた。あっという間に学期が過ぎ、夏休みに入った。

【前回の記事を読む】「感謝なんかしてないくせに!」母からの罵倒はもう慣れっこ。そんな中、父が…。