遠い夢の向こうのママ 毒親の虐待と夫のDVを越えて
卒業前の3学期に当たる期間、3年生は実質お休みで学校には行かなくていいので、その間は大阪に少し行った後はずっと山口家で寝泊まりしていた。
その頃のお母さんからは、私に対する憎しみすら感じるようになり、家が嫌でたまらなかったからだ。もちろん笑顔もない。顔も能面のようで気味が悪かった。
そして卒業前のお正月、山口家でハワイ旅行に行く予定だったが、それに一緒に連れていってもらえることになった。
大好きな山口家との旅行は本当に楽しく、私の中でキラキラと輝く思い出となった。
そんな思い出を作ってくれた山口家には本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。
その後高校の卒業式では何の感傷もなかった。泣いてる子も沢山いたが、私は悲しくもなんともなかった。
そんな中、お母さんが突然私に真剣に話をしてきた。なにかと思えば、「国立の附属中学の人はみんな立派だからこれからもちゃんと付き合いなさい。でも私立の高校の人らはくだらない人達だから付き合わなくていい」と言う。
なぜそういう差別をするのか。なぜ附属の人が大切で私立女子高の人は付き合う価値がないのか、意味がわからない。ばかばかしいと思ったが、言い返すと喧嘩になるので聞き流しておいた。
卒業後、ひとまず身の回りのものを簡単にまとめて大阪に送り、手荷物ひとつ持って寝台列車で大阪に行くことになっていた。
最終日まで山口家で寝泊まりしていたが、最後の日、近所の英語の団体の友達と一緒に忘れ物がないか、新田家に戻ってみた。
すると、その友達も一緒に玄関先で立って待っているにもかかわらず、お母さんは鬼のような形相で「次にあんたがここに来た時、お母さんはいないからね!!」と、家の中を見て回る私の後ろをついて回りながらなん十回も言ってきた。
「は? なに言ってんの?」と言ったが、お母さんはざまあみろといった表情で同じ台詞を繰り返すばかりだった。
正直本当に心の底から気持ちが悪く、その時のなんとも言えないお母さんの表情は一生忘れることができないものになった。
そして「見送りはいらない」と言い残し、新田家を後にし、友達とも近所で別れ、山口家に挨拶しに行き、ひとりで駅に向かった。
たったひとりで静かに電車に乗って出発したかったのだ。駅に着いて仲良かった友達に公衆電話から電話すると涙が出てきてポロポロと泣いてしまった。