暗いので彼女の表情を読み取ることはできない。あなたみたいにならない、とはどういうことなのだろう? 交通事故に遭遇したことは同じでも、彼女は死なず、若菜という人は死んでしまった。
経験から、若菜さんの恐怖や痛みがありありと想像でき、死を間近に感じられるがゆえに、恐くて一人で眠れないのだろうとしか、ぼくには理解できなかった。
死を吹き飛ばすものは、生だ。赤々と命の火を燃やし、死の暗闇をかき消してやりたい。彼女を恐れから、解放させたい。
「いっしょに寝てるだけで、いいの?」
欲望がにじみ出しているような、みっともないしゃがれ声が出てきてしまう。アルコールをかなり入れてしまったせいと、布団に籠もる彼女の匂いで、けっこう固いはずのぼくの理性は、風前の灯だ。
「無理?」
暗闇から吐息が届く。
「無理。酔ってるもん」
ぼくは思わず彼女を抱き寄せた。彼女の体は全く強張っていなかった。かりそめの抵抗もなく、しなやかに、柔らかに、温かに、ぼくの腕の中に収まってしまった。抱き寄せられることが、赤ちゃん並みにうまい、というか自然だった。
「無理だよ、酔ってるもん」
もう一度、ぼくは呟いた。
「わたしの方が、酔ってるもん。寝て起きたら、全部忘れてるよ、きっと」
好きにしていいという合図だ、と思った。一瞬にしてためらいは放り捨てられ、ぼくは無我夢中で、彼女の首筋に顔を埋めた。むせるほどの女の匂いが、ぼくの理性をあっというまに酔いどれにしてしまい、あとはもう酔うに任せて、本能の虜となり、女の匂いと肌の虜となり、ぼくは奮闘した。
彼女も熱かった。静かに、静かに熱かった。酔っているせいだ、死を見てきたせいだ。静かに、静かに熱かった……。
明くる日、ぼくはリカー品川の店番をしながら、ぼうっとしていた。昨夜のことでぼうっとしていた。なんでああなってしまったのか、とりとめもなく考えている。もちろん酒のせいだ。
にしても、なぜあの女はあんなにいとも簡単に、ぼくに体を許したのだろう。知り合いが亡くなった寂しさや死の恐怖を忘れたいからといって、知り合ってまもない、大した仲でもないぼくに。そして金持ちでも将来有望でもないぼくに。
これからどうなっていくのだろう。あまりにも体までの関係があっけなさすぎて、いくら彼女がいい女とはいえ、恋のような熱く焦がれる想いというのは、まだない。セフレ関係。それでもいい。また、できるだろうか、あの女と。あやこという一応の恋人がいるにもかかわらず、少しはある罪悪感を押し退けて、妄想は膨らむ。
次はいつできるだろう。ああ、携帯番号くらい訊いとけばよかった。もし今日また彼女が酒を買いに来たら、絶対教えてもらおう。早く店に来ないかな? そんな思いがくるくると巡っていた。
結局その日、彼女が来店することはなかった。