第1章  令和の今、行政改革最高のチャンス

隣の超大国との付き合い方

旧満州国で生まれた筆者は日中友誼病院への機器援助などで旧満州国、現在の東北三省である黒竜江省、吉林省、遼寧省を度々訪れた。SIRSや反日運動の真っ只中に訪れたこともある。撫順市の歴史博物館では、日本兵に殺されたという人の頭蓋骨を始めとする人骨展示などを見せられたり反日の精神教育は徹底していた。

しかし豊かになるにつれ日本に対する憎しみは薄れ今はもう無視に近く、目標はアメリカを抜くことに専念の感である。中国とアメリカの力関係は急速に縮まっており、近い将来に逆転するのは世界史の示すところであろう。

コロンブスやバスコダガマのスペイン・ポルトガル時代から英蘭独仏、米ソの次は中印であろう。ただ、豊かになった中国からはチベットや内蒙古、新疆ウイグルなど宗教や文化の異なる民族国家は立ち去るのかもしれない。旧ソビエト連邦が15の国に分かれたのと同じように。

中国を訪れる度、中国の国内地図を見ていると変な気分に襲われるようになった。中国が大きなヒヨコの形に見え、朝鮮半島が嘴、日本はその前のミミズ状の虫に見えてきた。被害妄想と何回も首を横に振てみたが振り切れない。中国の多くの人がそう見てないことを信じたい。

もう50年以上も前になるが、京都工芸繊維大学に留学していた学生の実家に招かれ香港に行った。田舎へピクニックと郊外の深圳に行ったのが初の中国訪問である。水田地帯で牛や鶏が庭で放し飼い、カエルが賑やかに鳴いていた。今や有数の商工地帯で摩天楼の並び立つ近代都市に生まれ変わっている。同じ頃に北京に立ち寄ったが牛や馬の荷車が多く自転車が僅か、5年後には銀輪部隊が洪水の如く道路一杯に、そして10年後には車の渦に。

医療も同じような感じで、初めは日本で使われなくなった旧式の内視鏡でも大喜びされ歓迎の嵐。肝臓手術のビデオなどは食い入るように見つめていた。しかし10年後には保険制度や医療事故対策しか教えるものが無くなってしまっていた。ただ今でも精神科医療はブラックボックス化されているのか、同行の精神科病院団体の幹部すら五里霧中とのこと。もっと暗い闇の中かも。

先に日本人の嫌中感の増幅に来日中国人のマナーの悪さを挙げたが、日本に来ているのは都市の成金的富裕層で、昔の「ノーキョー」とかの感じである。まだマナーが行き渡っていないのである。国際標準が判ればこれも向上すると確信している。たとえ文化大革命で儒教の精神を全て喪失していたとしてもである。一方、地方の普通の中国人は純朴そのもので日本人と変わらない。

私は中国残留孤児のなり損ないと述べたが、何故あれだけ多くの日本の乳幼児が侵略された国で育てられたのであろうか?日本人は優秀勤勉だから大きくなってからの恩返しを期待して育てた、という説には私は組みしない。逆の立場で、我が国は侵略者の子供を育てられたであろうか?かなりの疑問符が付く。やはり孔孟の精神は生き続けているのであろう。

日本の病院へ医療留学した方達が恩師だった先生の訪中時に1泊2日の夜行列車で遠方より宿に来て語り明かし、翌朝またトボトボと帰路につく姿を思い出すにつけ、この国の大きさと懐の深さを感じざるを得ない。