本日二度目の自己発電か。自嘲しながらエロ本のページをめくり、ズボンを下ろす。むろんエロ本に興味を失っているほど老け込んではいない。買わないにしてもコンビニで立ち読みはするし、家族が留守の時にはここぞとばかりにエロビデオで自慰にふけることもある。

しかし皆がまだ汗を流して働いている明るいさなかに自慰することが、情けなくもあり、罪深くもあるのだ。しかし罪悪感を覚えてくれるならむしろ都合がいいのかもしれない。自慰ごときで罪悪感に責めさいなまれる可憐さなど、とうに失っているのだから。しかし難しいのは、少女への劣情を抑え、ひた隠しつつ、代償としてAV女優に発情するという複雑な欲望模様を抱えつつ、自慰することだ。

結果はうまくいかなかった。私の好みの顔、体型を持った女優が本の中で痴態を演じていて、その子を舐め回したいという単純な欲望模様を描きつつ、私は果ててしまったのである。

濡れた一物の先をティッシュで拭っていると、なんとも情けない心情となり、「なにやってんだ、オレは!」というつぶやきが漏れてくるのだった。

それぞれの道へと別れていった会社の同期たちが、再就職活動で必死になっているであろう今、オレは昼間からエロ本でオナニーかよ! ご立派な身分なことで! 私はそうやって思っている以上に自分を責め、顔面への殴打が形だけのことにならないよう追い込んでから、拳で自分の頬を殴ってやった。ガツン!と一発。痛かった。

けれどこの痛みは当然の報いなのだ。この無職野郎! 私はもう一発自分の顔面を殴った。痛みが憎たらしくて、その憎さを怒りに替え、もう一発。私はうめいてベッドにぶっ倒れ、マゾヒストのようにニヤリとする。あの時ほど真剣には殴れなかったにしても、ただの演技ではなく自分を痛めつけることに成功した。少しは十九歳の自分に近づけた気がする。

その後エリオット詩集をいくらか読んだ。こちらはうまくいった。駄詩人。かつてと同じ感想を持つことに成功したのである。

【前回の記事を読む】「日記が戻ってきた」という奇妙な体験から考える、放浪者の生き方について