第一部 私と家族と車イス
成長か戸惑いか
次男はいつもマイペースなことから余計対照的な兄弟で、長男は保育園の先生にも子どもらしくないと言われていたほど、段々と大人とのコミュニケーションが達者になり、厳しく要点を突いてくる、母も言い負かされるくらいに育っていった。高身長の彼は、園児に見えず小学生に見られてしまう。なおさら大人びてくような環境だったのは間違いない。
それなのに、保育園時代も小学校に入学しても、長男に投げかける言葉は変わらず、
「あなたは体が大きいから周りから見たら年齢が上に見えるの。だから同い年の子より行動に気をつけなさい」
家庭では夫には甘えん坊なのに、外では、しっかり者を演じさせたのだろう。輪をかけるように、私は次男を気にかけるように伝え、仕事へ行く前には、「保育園頑張ってきてね、お母さんも頑張ってくるね」と伝えた結果、長男は、今でも学び舎で頑張っていることを知らせるような言動がたまに出る。
「今日は金曜日だし明日休みやから今日頑張ってくるね!! いってきまーす!」
元気で何よりだが、幼児期の習慣の名残があるような言葉だ。もしかしたら長男が、2019年の父親の出来事があっても学び舎へ行くことは、頑張っているという意思表示でもあるのか。
長男は、父親が受傷する前は兄弟も下にふたりいて、父親は家族への責任の重圧からか飲酒習慣がつき始め、毎日毎日正義感で満たしておかねば自分を奮い立たせられなかったのかもしれない。
父と離れたあの日。次男のことももちろん受け入れて作業療法は順調だった。次男のこともありながら月日は経ち次男は年長、長男は小学2年生に。三男はまだ誕生日前の0歳。ようやく歩く手前まできている。おすわりができるようになってきた。
なんの前触れもなくお父さんがドクターヘリで運ばれた。いきなり現実を突きつけられ、大人でも受け入れられるだろうか。受傷後、すぐに歩けるだろうと信じていたあの日、小学2年生ながら必死に現実を見すえていた気がする。
「歩けるよ明日」
「大丈夫、母さん」
「お父さんは強いから」
「お父さんは死なないから」と……。
泣かないでいた受傷の日。長男が、ぼーっとしていて焦点が合ってなかったと話した時、父に対してもしっかりと気づいていた。
「お母さんが、無理して笑ってるのはわかってた。お父さんは、やばいと思った。お母さん見てたぶん命がやばいんだろうなと思った。お母さん食べないし、お父さん見ても一つも動かないし、先生は、今日が山場だと話していたから」
長男は、しっかり見ていた。あの日の情景も、空気も、時の流れもすべて。次男は、
「逢いたい、逢いたい、お父さん一人だと寂しいから」
長男は夏休みで、遊びたかったはず、次男は保育園に行きたくないなか、気を紛らわすように友達と関わっていたはず。