「ミポロンで構わないのよ。それに光栄だなんて。お世辞でも嬉しいわ。ささ、みんな上がって。大したお構いもできませんけど」
美保は立ち上がり、踵を返す。その瞬間、俺は彼女の左手薬指に指輪がないことに気づいた。独身だろうか。あんなに綺麗なのになあ……詮索したい衝動にかられたがそれは野暮というものだ。
奥の座敷に案内される途中のことだった。一番後ろを歩いていた俺の背後から「ヘイヘイウブ平」と小さな甲高い声が聞こえてきた。振り返ったが誰もいない。空耳だろうか。そう思い俺が歩を進めると、再び「ヘイヘイウブ平」と呼ぶ声がした。今度は伸びのある特徴的なハスキーボイス。まさか……俺はあの男がここにいると想像しただけで、背筋に悪寒が走った。
3
「えっ! ミポロンまだ未婚なんですか?」
臆することなく聞いた幸広に、「まだ、ってどういう意味よー」と明王にお酌していた美保がぷくっと頬を膨らませた。
下戸の俺を除く三人はベロンベロンに酔っ払っていて、充血した目を見開いている。メインディッシュのアサリも驚いているのか、バターで煮込んだ鍋の中でふつふつと美味しそうに踊っていた。
「マジで?」
俺もびっくりし、口に入れていたアサリを戻しそうになった。オレンジジュースを飲んでひと息つく。するとなぜか、よこしまな気持ちが込み上げてきた。
――昔って何のことよ。
千香子の言葉が不意に思い出された。
妻が正しければタンデムしたのはマドンナ美保? 俺の記憶違いだとしたら……すまない千香子。喧嘩ばかりしている俺たちは潮どきかもしれない。
千香子が許してくれるなら……子供たちも認めてくれるなら……。
「ヘイヘイウブ平!」
甲高いその声で、俺はあらぬ妄想から我に返った。三回めは正面玄関から一番遠いこの座敷まで聞こえるほどの大きな声。一回めと三回めが甲高い声で、二回めがハスキーボイス。俺はからかわれているような気がして腰を上げると、襖を開け、廊下を歩いていく。
「どこいくの?」
美保が追いかけてきて、腕を掴まれた。俺は険しい表情で振り返る。