さらに妻はこう言い放った。
「それにそもそも、田舎暮らしは嫌なのよねえ」
こちらは薄々感じていたが、まさか拒否されるとは……千香子も築上町に住んでいたくせに。といっても、妻は生まれが築上町ではない。父親が自衛官で、小学五年のときに転入してきた転勤族だ。築上町には航空自衛隊の築城基地がある。
「介護が必要なんだよ、母さんには」
「でも向こうはいらないって言ってるんでしょ。だったら帰る必要ないじゃない」
母には無駄に張り切るところがある。八十歳を超えている君江は、梅畑以外にも農地を持っていて、人参や白菜などの野菜をほそぼそと作っている。それは別によいのだが、頼まれてもいないのに、よかれと思ってご近所さんと親戚のぶんまで栽培しているらしい。それにしても、である。
千香子と口論が絶えなくなったのはいつからだろう。これまで家族にどんなトラブルが起きても、俺は優しさだけは捨てずに乗り越えてきたつもりだ。なのに、千香子は反対に優しさを捨てていく。子供が成長するにつれて妻の厳しさは増していった。褒ほめて伸ばしたい俺に対し、千香子は叱って伸ばしたいタイプ。お互いに考えを譲らないものだから喧嘩は日常茶飯事。
だけど、しまいに折れるのはいつも俺だった。口喧嘩では妻に勝てないということもあるが、愛を失うのが怖かった。
「仕事見つかると思う? あっちの友人に聞いたけど、割の良い仕事ないって言うのよ」
「大丈夫。家族を路頭に迷わせるようなことは絶対にしないから」
そう言って、千香子に認めさせた。説得に一ヵ月かかったが。
「僕も嫌なんだけど」
中学一年の長男健太も渋い顔をした。ヤンキーがめちゃくちゃ怖いらしい。里帰りするたびに不良漫画に登場するような強面の少年たちにジロリと睨にらまれるという健太は、一度おしっこを漏らしたことがあり、その失態が今でもトラウマだそうだ。
「大丈夫。今のヤンキーはマイルドだから。怖くないよ」
まったく慰めになっていないのはわかっていたが、強引に健太を納得させた。
「田舎暮らし? ラッキー!」
小学六年の長女若葉は二つ返事で賛成してくれた。「自然に囲まれた田舎のほうが子供はのびのび育つんだよね」自分で言うのはどうかと思うが、娘にはおませというか悟ったようなところがある。ネガティブな兄に対し妹はポジティブ。両親の教育方針が真逆だから性格が正反対になったのだろうかと、子育ての妙みょうを感じたものである。