「そんなことを言っている場合ではない。早く逃げないと大変なことになるぞ」

長老は嫌がるハナコを連れて逃げた。

しかし、戦いに夢中なお母ちゃんとお兄ちゃんは、密漁捕鯨船の一団が近づいてくることに気づかなかった。お母ちゃんとお兄ちゃんがデビルと戦っている海の上を一隻の密漁捕鯨船がさしかかった時、息が苦しくなったお兄ちゃんが、ちょうど浮上しはじめた。そのお兄ちゃんの姿を密漁捕鯨船の魚群探知機は捉えていた。

呼吸をしに浮上したお兄ちゃんに向かって密漁捕鯨船から銛が打ち込まれた。銛はお兄ちゃんの背中に深々と突き刺さった。

「ギャーッ!」

お兄ちゃんは異様な叫び声をあげてのたうち回った。しかし銛は抜けない。お兄ちゃんの背中に突き刺さったままだ。銛を命中させた密猟者達は歓喜の声を上げながら、銛に結ばれたロープといっしょにお兄ちゃんの後を追いかけていく。

お兄ちゃんの異変に気づいたお母ちゃんは、

「お兄ちゃん!」

と叫んだが、うろたえた隙にデビルに捕まってしまった。お兄ちゃんは背中に突き刺さった銛の痛さと、デビルの足に絡められたお母ちゃんの姿に、狂ったように叫んだ。

「人間ども、食われてやる! 後でお前達に食われてやる! だから今は見逃してくれ! お母ちゃんが、お母ちゃんが、大変なんだ! デビルにやられてしまうんだ! 助けに行かせてくれ! お母ちゃんを助けに行かせてくれ!」

しかし、そんなお兄ちゃんの思いを知る由もなく、銛が次々と、密漁捕鯨船からお兄ちゃんの身体に打ち込まれた。やがて、おびただしい量の出血とともにお兄ちゃんの意識は遠のいていき、息絶えたお兄ちゃんの身体は密漁捕鯨船に引き上げられ解体された。

一方、デビルの足に捕まったお母ちゃんは深海に引きずり込まれ、浮上して呼吸することができず息絶えた。そして、そうしている間にもハナコの群れのマッコウクジラ達は密漁捕鯨船団に襲われていった。お母ちゃんとお兄ちゃんは死んでしまった。ハナコは独りぼっちになってしまった。

「無念じゃったろう、さぞかし無念じゃったろう」

長老は同じ言葉を何度も繰り返した。お母ちゃんとお兄ちゃんがお父ちゃんの仇討ちのためにデビルと戦っている最中に密漁捕鯨船団に襲われるとは何という不運だろう。そのために、お母ちゃんはデビルに、お兄ちゃんは密猟者達に殺されてしまったのだ。その上、群れの多くの仲間達が密漁捕鯨船の犠牲になってしまった。

「本当にひどいことをするわい、人間は」

長老は密猟捕鯨船に獲られてしまった仲間達のことを思い、悲しみと怒りの入り混じった気持ちで言った。

「ハナコ、元気を出すんじゃ。今のお前はさぞかし辛かろう。けれども頑張るんじゃ。今日からわしがお前の親代わりじゃ」

長老は独りぼっちになってしまったハナコをそう言って慰めた。ハナコはなかなか元気になれなかった。けれども、

「人間に家族を殺された仲間は大勢いるのだわ。わたしだけが悲しいのではないのだわ。わたしは死んでしまったお父ちゃん、お母ちゃん、お兄ちゃんのためにも、心配してくれる長老のためにも、元気を出さなくてはいけないのだわ」

ハナコは健気にそう思った。

【前回の記事を読む】戦いに負けたお父ちゃんの死…お母ちゃん、お兄ちゃんが決断した仇討