今度は素直に従い、荷物のダンボール箱を台にして、彼女はサインを記した。うつむいている彼女の、お面の隙間から素顔を覗き込もうとしたら、顔をすっと上げて、
「はい、書けたよ。配達ご苦労であった」
「そういや、轟ってみょう字だったっけ? 大地さんだったよね、おたく?」
「へい、気分でみょう字変える性質なもので」
「名前も、若、芽。ワカメ? じゃないよね、瞳子だったじゃん」
「へい、気分で名前変える性質なもので」
「どうでもいいけど、もう取れば、そのお面? バイキンマンの顔で会話されても、困るんだけど」
「すっぴんだからさあ、アップには耐えられないわけですよォ」
そういうことかと納得し、ぼくはこの場を去ることにした。まだまだ配達する荷物がゴロゴロしているのだ。バイキンマン女とコントしているのんきな時間はない。読み取り機を腰のサックから抜いてバーコードをスキャンし、配達完了を入力すると、通路に出て少し歩いたところで、後にした二〇三号室を振り返ってみる。すると玄関から顔だけ出して、彼女がこちらを見ていた。相変わらずバイキンマンのままで。
「まだバレてないと思うよ」
不意にそんな言葉を放ってきた。
「何が?」
「わたしの正体」
静かに呟いた。その時通路を空っ風が吹き抜けたからなのかもしれないが、ぼくはぶるっと寒くなった。無邪気なはずのバイキンマンのお面が、一瞬不気味な影を帯びる。謎めいたセリフの理由を問うまもなく、彼女はバイバイしながらドアを閉めてしまい、言葉の真意を確かめることはできなかった。
こうしてぼくは、大地瞳子と久しぶりの再会を果たしたのであるが、彼女に関しゆっくり振り返るまもなく、その後の配達に追われたのだった。
この再会が、荷物を偶然届けただけの一度きりのものになるのか、再び何かが始まろうとしているのかまだ分かるわけもなく、サインを求めて師走の町を走り回った。