【前回の記事を読む】【エッセイ】困った時、不安な時、繰り返すと不思議と希望が湧く言葉

第二章 人生にエールを送ることば

文字の成り立ちと書の表現

日本に書が伝わったのは弥生時代といわれます。その頃は象形文字を基本とした「(てん)書体(しょたい)」というものでした。篆書は書くのにも時間がかかり、次第に簡略化されて、今私達が使っている書体に近い「隷書体(れいしょたい)」という形に変化しました。飛鳥時代には、仏教の伝来と共に、写経を通して日本での書道が根付きはじめました。聖徳太子によって記された『法華義疏(ほっけぎしょ)』は、日本最古の書物と云われています。

又、空海、嵯峨天皇、橘逸勢などを通して書の世界が広がりました。奈良時代になると、日本で最も古い歴史書『日本書紀』が編集されました。これは「万葉がな」と呼ばれ、かな文字への誕生に繋がるものとなりました。

平安時代には、日本独自の文化が尊重され、現在私達が使っている「かな文字」が誕生しました。鎌倉時代には、漢字とかなを交えた表記が日常のものとなりました。室町時代になると書道に“流派”が生まれ、書の作品を床の間に飾る文化が生まれました。今では多くの流派が日本の書道界で活躍することとなりました。

その様な変遷を経て私達に根付いた漢字の文化、言葉や表現の文化が、今、大きく変わろうとしていることに、とても心配しています。

中国では画数の多い文字を簡略化して「簡体文字」というものが使われるようになり、元来の文字の成り立ちや意味が失われつつあるかに思えます。

例えば「風」。中国では⺇は洞窟を意味し、中の䖝は龍を表す象形文字の変形です。中国では、風は龍が起こすとされ、洞窟に潜む龍を表しますが、今風は风となり、大きな風を起こすといわれる鳳は凤と表され、元来の意味が失われています。

「産」は文と厂と生、つまり険しい道から生命が生まれ、母体から切り離されるという意味ですが、今は「产」のみとなっています。

また「業」はもともと飾り棚を意味する象形文字から来ているのですが、今は业の部分だけになっています。

また元来の漢字の意味を完全に無視した用い方にも驚きます。谷は「や」の発音から同じ発音をする「穀」の代用とされ、機の代用で机、后はもとの“きさき”という意味ではなく「後」の代用、良は糧の代用、態は太に、術は术に、裏は里に、電は电に(雨が消えています)……、という風に、音声だけが重んじられ、元の意味も成り立ちも消滅しています。

こんな風ですから、漢詩、中国の漢字文化を学び、成り立ちや意味こそが漢字の大きな魅力だと伝えて来た者にとって、こんな衝撃的な事はありません。日本では、書道家を名乗る多くの人達がアート的感覚で文字を独自の表現で書くことが主流になっています。