実は、兄の学歴は、幼稚園から大学まで私と同じで、義理の姉も有名校を出ている。やはりかなり保守的で、これまでの実績(?)を捨てることには大反対であった。また、四二歳の時、十八年もの間勤めてきた生命保険会社を辞めた。この会社は、内勤の総合職での採用の場合、特別な国立大・私立大卒しか採用されない。

また、辞める頃の年収は一千四百万円ほどあった。でも、私はせっかく(?)入った会社を捨てた。なおかつ、転職であれば年収一千万円などの計算も成り立つが、私は地元に戻って退職直前に取得した資格を生かして独立開業することにした。

そして、しばらくは収入ゼロであった。この決断は言わば『都落ち』みたいにも見えて、普通私のような経歴の人間には馴染まない。また、五四歳で密かに一人家を出て別居し離婚したが、これとて普通はやらないであろう。

元妻は、身長一七三センチで某ミスコンの優勝者。また、フランスのファッションブランドのモデルの最終審査にまで残った美人であった。自宅は『住みたい街ナンバーワン』だったところにある一戸建住宅。息子は身長一八五センチのモテモテのイケメン。私はこれまで営々と積み上げてきた貴重なものを、何のためらいもなく即決で捨て去った。

十七 悶々とした五十歳代独身男性はどうすべきか?

十七年間セックスレス(スキンシップもなし)、フーゾク通いもなし……。こんな生活、どう思います?人生にはいろいろな楽しみがあるけど、これじゃ『潤い』がないし、明日への活力も湧いてこない。五十歳代の男で、私のように日々悶々と過ごしている人は意外に多くいると思う。

ただ、潜在的に眠っているだけで、自分でも気づかない、あるいは気づかないふりをしているのだと思う。きっかけさえあれば、『青春』は今すぐそこにあると思うのだが……。ここで、誤解のないように言っておくが、

「五十歳代で若いおねえちゃんと遊びまくりましょう!」

と言っているのではない。好きな女性(別に若い必要はない)の手に触れるだけでも、大きな喜びである。私の場合、直接的な性行為をしている時よりも、手をつないで街中を散歩している時の方がドキドキしている。前述のミーとは、夕陽を見ながら海岸通りを散歩していた時が一番楽しかった。まあ、これはなかなか信じていただけないかもしれないが。