三章
自分の存在を知る
結婚。愛を核にして男と女は結ばれる。相互に尊重。信賴し合っていく覚悟を決めて人生の最大事業、結婚に踏み切った。縁あって巡り合った人を、運命共同体と思い込んで、神前に誓って船出した。
お陰さまで半世紀余りを、時流に翻弄されながらも生き延びた。七十五歳でさまざまにして家業の重荷を下ろして、ホッとしたのも束の間でアッという間に病魔の不意打ちを食らって気絶した。
結婚生活ほど感情的で緊張する情態はない。ふるえるほどに相対的な距離感に戸惑うばかり。だから相当に忍耐がいる。たがいに大方を受け入れて思いやる覚悟もいる。難儀な事業です。結婚とは……。
現実は何時だって立場の強い者が支配者となっている。支配者は常に一方的に自分の価値観を駆使して憚らない。反論無用、であった。対等な意見などもっての外で意思表示をできない状況に陥った。
尚、家業に縛られて籠の鳥。この日常的に続く状態に苛立ち、精神的にも苛まれていった。こんな日常が何時まで続くのだろう──。
なぜに、こうも理不尽が通るのか、と落胆していた。情けなくて、みじめで心の置き所がない。心は哀しみのカサブタでふさがれた。
体は硬くなって疲れ果てていた。私はもはや七十五歳の老女。私にはもう苛酷な試練に耐える力は少しも残ってはいなかった。もう、おしまい──。
その時、ふっと、もうろうとしていた脳が少し動いた。命が崖っ縁に立っている危機感覚が働いてうつ病の魔界の悪夢から醒めた。やっと正気に返った。
けれど、不安感が燻り続けていた。くる日もくる日も重苦しい空気が漂っているばかりで惘々とした時間が流れていた。
調理の手順も忘れて、素材を並べて立ち尽くしていた。家事も危うくなっている。
涙がこぼれる。ひねもすぽろぽろ。ぽろぽろとこぼれる。
その時期に親友から一冊の本を頂いた。親友は、なぜか私に似合った本だからと言った。
本のタイトルは『心を空っぽにすれば夢が叶う』
世界的なヨガ聖者、ヨグマタ相川圭子著であった。
惑いの最中に、私の所に届いたこの本こそ私を根元から正した。この一期一会の至高の教えに巡り合えた。この一冊の本から命の所在を知った。そこから、自分の本質に向き合うことになる。
本当の自分とは「魂」の存在と知る。魂。誰もが聞き覚えのある言語であろう。珍しい言語ではないけれど、漠然と霊的な感覚界の存在と認識していたから、なぜかなつかしい感じがした。