入院は二週間位だと昨日医師が言っていた。自宅療養もその位はかかるとも言っていた。その後は職場復帰ができそうである。職場復帰ができるなら温泉旅行もできるだろう。今はとにかく明るい希望が欲しかった。それができれば苦しい入院生活にも負けないで頑張れると私は思った。
体にたくさんついていた管が少しずつ減り、食事も少しずつ食べられるようになっていった。食べられるということは本当に嬉しいことだ。そうなると心もより前向きになり、まだ管がついてはいたが、キャスターのついた点滴を吊す台を持って廊下を歩く訓練を嫌がらずに毎日やった。
仕事がスムーズにできたり、旅行を楽しめたりできるような体力をつけようと、自主的にも歩く訓練をした。退院の日まで続けることができたが、それは、展望回廊からの眺めが素晴らしく、そこまで行くのを楽しみに歩くことができたからだ。伊豆の山々の景色は菊川とは違い、毎日見ても飽きなかった。
この頃になると何人かの人が見舞いに来てくれた。学校関係者からは職場の様子を聞き、
「子どもたちが、戻ってくるのを楽しみにしているよ」
と言ってくれたのが嬉しかった。野球の関係者も来てくれた。還暦野球を目指していた私ではあったが、がんになってしまい、流石にもう野球をするのは、無理だと思っていた。本気か冗談かは分からなかったが、
「今年は無理だが、来年また一緒に野球をやろう」
と言ってくれた。 そういえば、あの俳優の方はがんになってもスポーツを楽しんでいると書いていた。やれるのかもしれないと思い、体に力が湧いてきた。入院してから、話をするのは、医師と看護師と夕方仕事を終えてから交代で来てくれる家族、親戚位であった。だから、見舞いに来てくれた人との話は新鮮で、刺激を受け、勇気づけられもした。
職場復帰と、野球ができる体力と、旅行に行って美味しい料理が食べられるようになることを目指して頑張ろうと思った。