プロローグ 事故

歩いていても僕の足はふわふわして、ちゃんと床を踏んでないみたいだった。おでこの上に集まった血が下りてこない。救急車のおじさんやおまわりさんやお医者さんや看護師さんの声がちゃんと耳の奥まで届かない。

知らない大人ばかりで、不安で、おどおどして、妹の由美がいなかったら膝がかくんと折れてしゃがんでしまいそうだった。自分が救急車に乗っているのが夢の中みたいなまま由美と病院に連れてこられた。

千恵姉ちゃんは、お祖父(じい)ちゃんと昭二兄ちゃんと一緒に病院に着いてから、ずっと僕と由美のそばから離れないでいてくれた。

千恵姉ちゃんと会った回数は昭二兄ちゃんと結婚する前から数えて十回もない。千恵姉ちゃんは昭二兄ちゃんと同じくらい背が高くて、お母さんよりずっと若くてきれいだった。近所に千恵姉ちゃんよりもきれいな人はいなかった。

大きな目で見つめられて話しかけられると、恥ずかしくって、つい目をそらしてしまう。肩にかかる髪が腰をかがめるとき、音を立てて流れ落ちるようだった。千恵姉ちゃんが、昭二兄ちゃんと一緒に僕たちの家に来ると、由美はずっと千恵姉ちゃんのそばから離れず、僕は離れた所で浮き浮きしてはしゃいでいた。

昭二兄ちゃんと僕のお父さんは年が離れた兄弟で、昭二兄ちゃんは叔父さんというよりもお兄さんみたいだった。茶髪で格好も若いし、ずっと昭二兄ちゃんと呼んでいたから、ほんとは叔母さんなんだけどいつも千恵姉ちゃんと呼ぶようになっていた。

お通夜で由美と並んで椅子に座り、周りの大人に合わせてお辞儀をし続けながら、これから僕と由美はどうなるんだろう。お祖父ちゃんと三人で今の家で暮らすんだろうか、今の家は大家さんから借りているから出ていかなくてはいけないんじゃないか。ご飯は誰が作ってくれるんだろう、次々考えても答えが見つからない。誰に訊いたらいいのかわからないことばかりが頭の中に浮かんでは消えて、時々何も浮かばなくなって周りを見回していた。

由美は病院でたくさん泣いてたけど、お通夜では隣の椅子に座って僕に合わせて黙ってお辞儀していた。同級生やそのお母さん、担任の先生はもちろん、近所の人も来てくれていたはずだけど、由美は床ばかりを見て、目を上げようとはしなかったし、僕も周りの大人に合わせて頭を下げるばかりでお焼香をする人のことなんか見ていなかった。

僕が六年生で妹の由美は二年生で、もうすぐ夏休みだった。