淡いフットライトが照らす廊下を抜けて、木目調の寝室のドアをそっと開くと、キングベッドの真ん中で大の字になった栞が全身全霊で眠っている。起こさぬよう静かに隣に身を横たえると、すーすーという控えめな寝息と一緒に、桃のような、レモンのような子供と赤ん坊が混じり合った甘酸っぱい匂いが鼻孔をくすぐった。
少しこちらを向いた無垢な寝顔は、この子の人生がこの世に渦巻く魑魅魍魎とはまだ無縁であることを証明していた。この子は今どんな夢を見ているのだろう。善を知るためには、悪を理解する必要があり、美しさを知るためには、醜さを知らなければならない。昔読んだ本に書いてあった二元論だ。
もし、人生が幸福な生とそうでない生に分けられるとすれば、その構造もやはり二元論で説明できる。失敗無きところに成功はなく、不足を知らない人生に充足はない。人間は人間になるために、挫折や屈辱にまみれないといけない。不幸を経て初めて、幸福とは何であるかが分かるのだ。
でも、栞だけはそういった矛盾から自由であって欲しい。このかけがえのない我が子だけは、一切の悪意や敵意から解放された人生を送ってもらいたい。善や幸福だけの生、喜びと祝福にのみ包まれた人生。そんな完璧な人生が、この世界に一つくらいあっても良いのではないか。
そして、その奇跡のような人生が私の娘のものであることを願うことに、親として何の不思議があるだろうか。いや、分かっている。そんなものは、親ならば誰でも抱く陳腐で安いエゴイズムだ。そんなお花畑のような退屈で甘ったるい人生がこの世にある訳が無い。そう、それは幻想だ。
「何しているの。そんなに顔を近づけたら栞が起きちゃうじゃない。明日も早いんだから早く寝ましょうよ」
「そうだね、ごめん。おやすみ」
「おやすみなさい」
私は自分の親馬鹿ぶりに心の中で苦笑しつつ、柔らかい羽毛布団に包まれて目を閉じた。明日も満員の通勤電車と山のような書類が待っている。