「成功の秘訣」が使えずスランプに陥る

映像作家にとって避けることができない危機がスランプである。

ここで私が僭越にも「作家」という言葉を使わせていただいたのには理由がある。テレビ番組の制作者はプロデューサー(制作)やディレクター(監督)と呼ばれているが、実は番組のジャンル(種類)によって、その業務は大きく異なっている。

例えばドラマの場合、番組の「企画」はプロデューサーが責任を持ち、ドラマの核心をなす「ストーリー」は「作家」が書き、それをタレントが「表現」する。ディレクターの主な業務は映像化する時の「演出」である。ニュース番組は、記者が「取材」し、「ストーリー(記事)」を書き、アナウンサーがそれを読む。ディレクターはその作業の一部に参加・助言し、ニュース・スタジオで送出する時の「演出」を務めるのが一般的なやり方である。

ところがドキュメンタリーの場合は特別な場合を除き、一人のディレクターが「企画」、「取材」、「ストーリー化(構成)」、「撮影」、「編集」、「ナレーションの原稿書き」、「映像と音声のミキシングの演出」など、すべての工程の責任者になるのが当時のNHKのやり方であった。

やりがいがあるが、忙しく、スランプに陥りやすいジャンルでもある。その工程の中で、最も重要なのが「企画」と「構成」、つまり映像で表現する「作家」の能力の部分である。

さて、話を本題に戻そう。私が数年間、この忙しく濃密な業務を楽しく過ごすことができたのは、NHK入局四年目に発見した『誰も見たことがないドラマティックな映像を提供する』という成功の秘訣を重視して企画・制作していたからであった。それが、いつの頃からか通用しなくなったのだ。

これがスランプに陥った最大の原因であった。なぜ、それまでの成功の秘訣が通用しなくなったのか? その理由を一言で言えば、朝のワイドショー番組が始まったからである。

それはテレビ朝日の「木島則夫モーニングショー」で始まり、その翌年にはNHKが「スタジオ102」と題した35分間のニュースの拡大番組を開始、民放各社もこぞって後を追った。それまでのニュース番組はラジオ時代のテレビ版で、一つの項目がせいぜい1〜2分しかなく、番組全体の長さも15分ていどの短いものであった。

考えてみると、本当にニュースと呼べるものは毎日そう沢山あるものではない。まして、海外からテレビ映像が送れる衛星のない時代のことである。そこで、ニュースワイドショーのディレクター達は「企画ニュース」という専門用語を編み出して、ドラマティックな映像を競って追い求めるようになった。

私が企画し、番組の目玉に用意したドラマティックな映像シーンが彼らの標的になる時代になったのだ。その上、彼らのニュースワイド番組は月曜日から金曜日の毎日、放送があるが私の番組は週1回しかない。たとえ、努力に努力を重ねてドラマティックな映像を確保しても、それを初めて放送することが難しくなり、それを避けるためにはその映像シーンを独占する必要が不可欠になったのだ。