私が小学校の教員になって三十五年以上が過ぎていた。もうかなりのベテラン教師である。年齢も五十八歳になっていた。同年齢の者の中には校長等の管理職になっている者もいたが、私は級外というクラスを受け持たない平の教員であった。

自分の能力や性格を考えると管理職は向いていないと思っていたし、子どもを教えるのは好きだったので、今の仕事には満足していたし、自分は子どもたちを指導しながら凄く成長できたと感じていた。今日車での二十分間で立ち直ることができたのも三十五年以上の教員生活のおかげではないかと思い始めていた。

平成二十五年(二〇一三年)九月十三日(金)は私にとってまさに運命の日となり、今までとはまったく違う人間となった。端から見ていると私が変わったことは分かりにくいかもしれない。周りの人が分かりにくいということは自分の心は凄く成長できたんだと自分で納得していた。私はかなり冷静になれたので、校長にも病気の内容を正しく伝えることができた。

校長は優しい人で、かなり驚いていたが、職場でできることは全てやるので治療に全力を注ぐように言ってくれた。校長の言葉でより前向きな気持ちになった私は、陸上のスタート練習の指導をした。こうやって教えられるのも後どの位なのだろうかという気持ちが湧いてきたが、今までにない新鮮な気持ちで指導ができた。指導を終えて私はますます強くなっていく自分の心を感じた。

教師は子どもの前に立つと身が引き締まる。これは教師になった頃からずっとそうだったが、今日は一段とその気持ちが強かった。家に帰る頃にはかなり強い気持ちになっていたので、がんと言われたが、早期発見で大したことはなく、早く治りそうなことを家族に告げた。当然家族もショックを受けたが、本人が落ち込んでいなかったので冷静に話を聞いていた。こうして激動の一日は終わった。