プロローグ 

二〇一三年一二月X日深夜、幸太は寝苦しさと誰かの笑い声で目が覚めた。

「あちぃー」 

電気こたつの布団をまくり上げてスイッチを切った。膝から下がほてっている。

「お父ちゃんまだ起きとるん? テレビ切って早う寝っ」 

隣の寝室から襖越しに香織の声がした。風呂から上がってこたつに入り、テレビを観ながらうたた寝をしていた。

「ああ」 

幸太は短く答え、テレビのリモコンを手にして切ろうとしたが、思い直してボリュームを下げた。テレビにはふたりの男性が映っていて、ひとりは著名な歌手のSだった。若い頃はグループを組み、ヴァイオリンを奏でて人気があったらしく、歌声もきれいな高音で幸太も何枚かCDを持っている。

「では次のお手紙を紹介します」 

どうやら番組のパーソナリティといった雰囲気で、隣のディレクターらしき人物とテーブルに着いている。

ふと気がついた。画面の右上に『福山放送局』と表示されていて、幸太は思わず「地元じゃないか」と呟いた。Sはファックスで送られてきたらしい紙を手にしている。

「えー、では読みます。福山にお住いの匿名希望の女性の方ですね。年齢は二十八歳です」 

何故か年齢だけは紹介した。眼鏡の奥の、少し目尻の下がった優しそうな目がキラリと光った。

「えー、『私の住んでいる福山市は《何もないとは言わせない! プロジェクト》があるくらい何もない所です。全国の人にこの街をわかってもらうにはどうしたらいいのでしょうか?』と、そういう書き出しです。ほう、《何もないとは言わせない! プロジェクト》ですか? 本当に何もないのですかね?」 

首を傾げ隣にいる男性に問いかけた。彼はがっしりした体格で眉毛が太く、いわゆるゲジゲジ眉毛という奴だ。目は細く鼻はずんぐりしていて口は小さい。一度見たら忘れない特徴的な顔をしている。年齢は四十歳くらいだろうか? 

漠然とした質問に彼は少し動揺したのか瞬きを繰り返し、「あー、どうなんでしょうかね。そうなんですかねえ」と返事をした。つまらない受け答えだと思ったようで、大きな身体を丸めて、右手に持ったペンをしきりに太い指で動かしている。

「急にふられても困るよねえ、もう少し手紙を読んでからにしましょう。

えー、『福山は人口四十七万人で県では広島に次ぐ第二の都市です。しかし全国的には認知度が非常に低く、お隣の尾道市や近くの岡山県倉敷市などに比べても知られていません。この福山は大きな製鉄所がある工業都市ですが、尾道市や倉敷市ほど観光が盛んではありません。そのせいでしょうか? もっとも市もそのあたりは認識していて、風光明媚な鞆の浦を全国発信しようと努力しているようですが』という内容です」 

幸太はこの投書の人物は市の関係者に違いないと思った。何故なら幸太は市役所に勤めていて、そういうプロジェクトがあるのを知っていた。主に若い人たちが中心になって活動し、市の活性化を模索している。だが一般の市民には浸透していない。

実際、幸太の妻である香織もそうだ。かつて幸太がそのことについて話題にした時、「何それ? ふーんそう」と言っただけで、その日の夕食のおかずの方に興味があるみたいだった。

文化・歴史・産業・特産品など決して何もない所ではないのだが、確かに福山は知名度が低い。実際に幸太が旅行や出張で遠方に行って、「福山から来ました」と言っても場所が何処か知らない人が多い。

東日本大震災の復興支援で福島県に派遣された時は、会う人ごとに自分の出身地を説明するのが面倒で、「広島から来ました」と言うことにした。嘘ではない、県を省略しただけだから。