僕は、BARで、ショートカクテルを眺めながら、チェーサーで間を取りつつ、迷路に迷い込んだ思考を整理する。カクテルが、メッセージを発することが、しばしば、あった。シガーに、シガー用のマッチで、火をつける。そういえば、あのときの紳士もシガーを燻らせていた。

僕のシガーは、シガーカッターは不要だ。ウッドチップがついているから。シガーといえば、キューバ産だが。僕のはキューバ産ではない。そっと吹かし、シガー用の灰皿にシガーを置く。シガーを吹かすようになったのは、あの紳士から差し出されたときだった。そう、今の会社に入社しますと、告げたときに贈られたものだ。確か、3月4日だった。

思考は学生時代にスリップした。学生時代は、タバコのKENTを吸っていた。萌える新緑の季節に、彼女ができた、あの頃。萌という言葉はまだなかったが、僕は萌えていた。青春の青写真を描いたこともある。図書館で、よく、ばったり会っていた朗読をする人だった。でも、彼女は髪の長いあの女性ではない。こうしてシガーを燻らせていると、心地よい香りがあたりに漂う。

──有香とつぶやく。

大学生の頃に知り合った彼女の名前だ。彼女も心地よい香りがした。シガーの香りは僕に記憶を運んでくる。人は、朗読をする彼女を、詠み姫と名付けていた。美しい人だった。でも、僕たちの恋はXOXO……いや、僕の恋はすぐについえた。

このBARで、いろんな想像をしては、心地よい現実逃避に誘われる。昔へ過去へと時間をさかのぼらせてくれる。カクテルの酔いが時空のたびに僕を誘っては、現実の世界へ引き戻す。

──時間は大丈夫かい。バーテンダーの友人が尋ねる。

──ああ、一仕事終えたしね。今回は大変だったから、社長も当分は案件を振ってこないさ。そう答えながら、僕はまた過去の自分に会いに行った。

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