プロローグ
令和三年九月一日。会社を二人で設立した。商号は「SPLASH」。書棚を眺めて決めた名前は、語感がいいので気に入った。東京都目黒区を所在地にして、定款には連連と「化粧品・医薬部外品の企画。処方研究。製造及び販売の委託受託。及び技術協力」と、記載した。資本金は四百万。二名の役員だけから成る、小さく温かな法人だ。
商品は試作の段階だった。つまりは出生前なのだが、銘柄だけは随分前から決まっている。「優しく触る」フランスの音楽用語で訳をした、アルファベットの表記から多分変わることはない。
熨斗や胡蝶蘭が届くことはなかったが、それは事務所がないから当たり前だ。僕たちは記念の写真撮影だけをして、それぞれすぐに踵を返した。
日中は金を稼ぐために、僕たちはとにかく働き詰めた。日没を過ぎると、熱心に処方研究に勤しんだ。製剤関連の専門家が、精通することを求めたからだ。精通すると、優れた商品を生むことができる。僕たちはそう信じた。お陰で専門家とのコミュニケーションが、次第に肥沃になっていった。
「できるわけがないでしょう。わかっていないのですね」から、「いいアイディアだと思いますよ。一度試してみましょうか」となり、試作の品質は経時的に向上していた。
寝る間は大概雄鶏が鳴いて、そして日が明けるその僅かな空隙しかなかった。主な事業の初期費用項目は、開発。仕入れ。ウェブサイト制作。コンサルティング。人件費を省いても、金がとにかく足りなかった。だから一年の奔走期間を経ることでしか、僕たちはスタートラインを踏むことさえできなかった。
僕たちの生活目的は、まだ見ぬ銘柄のためだけに存在していた。